更新日:2008年8月17日(日)
ブラキストン線
|
||
福田改造内閣めぐって新聞各紙の支持率が発表された。ところが朝日の24%、読売の41%とその他の新聞はほぼ30%代。このちがいはちょっと異常ではないかと、あまりの差異に首をかしげたくなった。 それにしても朝日の数字はあまりにひどい。改造以前とほとんど変わらないからである。われわれの実感は、洞爺湖サミットも、内閣改造も、地味ではあったが、80%くらいの期待達成率はあった感じで、ある熟練度からくる巧みさになるほどと思わせた。この実感は支持率の上昇と結びつかない方はない。 たしかに、福田さんは地味で、パフォーマンスじみたことは極端に嫌う。その点では、小泉内閣とは正反対である。また福田さんの発言にはメリハリがない。だから印象が薄い。しかし、今回の人事はナールホドと思わせる巧みさと、挙党体制づくりへの執念が見られた。 そもそも、新聞各社の世論調査は、調査対象の規模が小さい。かつて総理府がやっていた調査ほどに信頼性はないなという印象があった。しかし今回は、それをマザマザと見せつけられた感じで、メディア自身への信頼性を失わせかねない。活字文化自体が問われている今日、新聞は猛省する必要がある。 大体、世論調査の魔術は、質問の仕方によって返事が変わってくることである。だから、「他人を批評することは自分を批評されることだ」という基本的難問(アポリア)を忘れてしまっていることである。だから、世論調査の数字は、極端にいえば思考停止につながりかねない。 統治者をけなすことは自分をけなすこと 政治批評はむずかしいものだ。明治維新で「万機公論」が尊重されて以降、日本の野党やメディアは在野精神の名のもとに、統治者や統治階級を徹底的に批判してきた。それは許されてよいことだ。しかし、その攻撃も度が過ぎると、公共性の場所がわからなくなりどちらもワタクシになってしまう。とくにスキャンダルの暴露合戦になると、読者や観客は、一時は好奇心に動かされても、政治現象一般に倦怠感を覚えてしまう。ある種の週刊誌が、自ら墓穴を掘っているのは誰でも知っている。 政治に対する無関心(アパシー)を助長することは、さらに危険なことだから政治批評家には情理兼ね備えた人間味が欲しい。ウイットやユーモアに包んで事態を相互に納得する大人の智慧が欲しいのだ。 日本人も政党政治の経験を百年以上にわたって積んできた。多くの失敗も含めて、他国にその教訓を伝えることもできる。中国の現状を見ていると、日本の国際社会での役割ははっきり存在することを、日本人は自ら納得してきている。それは原爆体験、東京オリンピック経験にはじまり、環境技術や食品衛生など広範である。 日本人は自らの存在に自信をもつことだ。そうすれば、内閣や首相に対する態度も、もっと寛容になってくることだろう。支配者への一定の敬意は共同体を形成する一員として当然だ。マルクスの病気から早く解放されることだ。 |
|
|
|
![]() |






