更新日:2008年8月18日(月)
特集
|
||
■(株)北のお魚.netは創業3期目の新米会社です。このたび2008年から3年間にわたり、(財)秋山記念生命科学振興財団の助成を受けることになりました。その事業内容について事業テーマから、事業を計画するに至る経緯、今後の展開などについてお話させていただきます。 全体構成 <上> (1) 事業テーマ (2) 始まりは「あぁ、そういうことなのか」という思いから (3) 地域における農水産業の問題点 “実例” (4) 何が問題だったか (生産者側の問題点・行政側の問題点) <下> (5) まずは行政依存体質からの脱却が必要 (6) 『誰が、いつ、どこで、どのように作って、どういう味がするのか』を伝える (7) 一年を通してキーワードを伝えるためには (8) 最後に <上> (1)事業テーマ ― 担い手の育成をめざし、生産者と共にできること ― ・民間の専門企業が地域の生産者と手を組んで、小規模ネットワークを作り ・埋もれている良い物を見出して(情報収集) ・消費者の評価を生産者も実感しながら(双方向情報発信) ・双方で磨きをかけ(分析・加工) ・質の高いブランドとして世の中に出し(販路開発) ・継続して双方が利益を上げるビジネスモデルを(生産計画) ・3年間かけて確立させる(システム化) 事業テーマは以上です。3年かけてこれをやります。ごくごくあたり前のことをやります。このあたり前のことを「今さら、なぜ? 始めるのか」について、次にのべます。 (2)始まりは「あぁ、そういうことなのか」という思いから 【事業を計画するに至る経緯】 本事業の代表者である私は6年間、ある県の第3セクターの社員や行政の嘱託職員として、町や村で地域活性化事業(特産品開発・販売等)に携わってきました。Iターンの公募に応募しての東京からの移住でしたが、前職の経験も生かすことができましたし、結果として残してきたものもあったと思います。そんな中で何度も「あぁ、そういうことなのか」と思い知らされたことがあります(もちろん、これは小規模農水産業の例ですから、大きな規模になると話は違ってくるのかも知れません)。 一例を挙げれば平等という名の不平等というのがありました。公の立場としては、愚直なまでに努力している生産者も、見た目だけのものを要領よく作っている生産者も、基本的には同じ扱いをしなくてはいけませんでした。農協なり、漁協なり、組合なりがよほど厳しく管理しているのであれば、その地域で統一の品質を保てますが、そうでなければ生産者個人の考え方一つで品質には大きな差が出ます。それは常日頃、畑や海、さらには生産者個人を見ていれば分かることでした。 養殖の2枚貝があったとします。殻つきなら見た目は変わりませんが、貝を開けると同じ時期、同じ海で獲れたにもかかわらず成熟度がまったく違うのです。地鶏を育てたとしましょう。見た目は変わらず良く太っていますが、さばいて肉にしてみると明らかに運動不足で脂が多く、廃棄率が高く味も落ちるものがあるのです(その逆、運動のさせすぎで肉が硬くなったこともありましたが)。見た目は真っ赤なトマトでも、水を控えて木なりで完熟させたものと、水をバンバン与えて青いうちに採り、倉庫で赤くしたものでは味に雲泥の差が出てしまいます。 それらを白日の下にさらけ出し、それに対して消費者がどのような消費行動をとるのかを調べ、生産者に返したところで意識を改善してくれたら、どんなにか良かろうと思いましたが、小さな町や村の中ではそれは至難の業でした。 こんなこともありました。当事ある事情により、私が仕事をしていた地域には国からお金がたくさん下りてきていました。お金はないよりあったほうが良いでしょうし、何もなかったところに郷土産品加工施設や、販売する為の施設、レストランができたりするのは人々にとって希望でもあったはずです。けれども、どんどん出るものだからみんなが補助金にすっかり慣れてしまい、気が付けば「行政がやってくれるもの、お金は言えば出してくれるもの」という依存体質になっていたのです。まさに「諸刃の刃」でした。 一方、お金を持ってくる側にも問題がありました。補助金を持ってくるために、新しい事業を考えているところがあり、次にその取ってきた予算を消化するために奔走し、最後に事業年度終了時の事業報告書を作成することに精力を注いでいるような状況も多く見受けられました。 そのお金をかけた事業ですが、事業年度が終了したその後のフォローはほとんどない(あるいはできない)というのが実情でした。バックアップが必要なのは事業が動き出してからも同じであり、生産者にその後の全てを押し付けても、負担が大きすぎて上手く継続させることができず、それにより多くの事業は継続を断念、または自然に消滅していきました。 また、特産品は「何を作りたいか」「何なら作ることができるか」という、安易な発想から生まれるものが多く、地域の道の駅などで売られることはあっても、それ以上の発展はあまり望めませんでした。まれに、飛び抜けて良い物が生まれても、価格設定が甘かったり、物量が確保できないなど、流通の段階で躓くことがしばしばありました。地域の特産品はその商品が消費者に認められ、高評価されることによって生産者の喜びとなりますが、しっかりと利益が上がらなくては、継続することが難しいのです。 (3)地域における農水産業の問題点 “実例” 実際に仕事に従事していた時の経験を基にして問題点を明らかにしてみました(地域によって多少の違いはあるとは思いますが)。 <A県B町の場合> 農業の主な特産品は柑橘類だが、輸入オレンジに押され、蜜柑の人気は急落し出荷価格も低迷してしまった。農協ではタダでも引き取ってくれないことがあった。 生産者はこのまま農業をしていても生活が出来ないと考え、次世代の担い手である子どもたちに、都会に出て行くよう勧めた。地域の高齢化率(65歳以上の割合)は年々上がり、30%を超えるところもあった(当時)。生き残るすべは蜜柑農業からの転換だが、年を取っているのでその気力はすでになかった。 その地域の蜜柑は日当たりの良い急斜面で育てられ、潮風を受けて大きくなるので甘酸っぱくてとても美味しく、またそこは風光明媚な場所なのだが・・・。 一方、水産業は近海漁が主であり、その日の朝獲れたものを市場に持っていくのどかな漁業であった。しかしある事情によって漁業権を放棄したため、組合員一人当たりに高額な保証金が入った。その地域での漁業には未来がないと考え、自分たちの代で漁業は終わりにし、後は保証金で暮らしていこうと考えてしまった。その事情は海に対してなんら影響がなく、豊かな漁場は残ったのだが・・・。 (4)何が問題だったか <生産者側の問題点> 1.情報発信不足―ブランド化を考えなかった。 積極的に情報を発信し差別化を計らなかったため、その地域の蜜柑のおいしさは知られないままだった。また潮の流れが速く、美味しい魚介類の産地であったにもかかわらず、わざわざ他県の有名漁場に出荷するなど、自分の地域でのブランド化を考えていなかった。 2.目先の収入を重視し、長期的な展望を持たなかった 米の出荷価格を上げるため、新米の時期が早い早生種の栽培に切り替えた。その結果食味が落ち、米全体の評判が落ちた。 3.従来の考え方から脱却できなかった―新しい切り口が見出せなった 特産品である“鯛”の呪縛から逃れられなかった。その地域には生産量日本一の水産品がありながら、高級魚の“鯛”にこだわったため、それを打ち出すことをしなかった。しかし鯛でもっと有名な地域は他にいくつもあった。 4.労働力が不足していた−IT化に乗れなかった 子どもたちをどんどん都会に出したため、労働力が不足してしまった。また、高齢化のためIT化について行く気力がなかった。 5.行政だのみの体質だった 活性化のチャンスはあったが、リードした行政の批判に終始し自分たちの努力を怠った。地域の活性化や特産品開発は、行政がリードするもの「やってくれるもの」との考えが蔓延していた。「やってもらってあたり前」の考え方では、本当にいいものは生まれてこない。また「頼まれてやっている」意識があるうちは困難に立ち向かう力は生まれない。 6.昔からの古い考え方や、地域のしがらみが根強くあった 日常的に作物のやりとりが行われており、良い物があってもそれは販売するものではなく配るものだった。したがってそれらを販売する人は体裁が悪いと非難されることがあり、何をするにも周りを窺うような状況だった。 7.流通を無視した価格設定 海産物などは浜値がつけられ、格安で販売された。利益率も低く、そのため外で販売する時は2重、3重の価格設定をして流通の妨げになった。また、もっと利益が上げられたものをみすみす逃してしまった。 9.リスクを負うことができなかった 野菜や果物、海産物などは鮮度が命、長く保存できるようにして、付加価値を高めるためには加工の必要がある。しかし加工品の研究開発には原材料費、人件費などの費用が発生する。この研究開発にかかる費用の負担をかかえるのは状況的に厳しいものがあった。また、作ったものが売れなかった時の責任を負うのも(地域の中で)勇気が必要だった。 次に依存されている側である、行政の問題点を挙げてみます。 <行政側の問題点> 1. 生産者の意識に違いがあり、全体で高いレベルに到達するのに予想以上の時間と努力が必要だった。 2. 担当者に異動があり生産者との関係が継続せず、経緯を熟知した担当者が不在になることがあった。 3. 初期調査が終わった段階で手放す事業が多く、せっかくオペレーションリサーチなどがされていても、販路ができた段階で手放されるのがほとんどで、一番大切な実際に販売してのテストリサーチまで面倒を見てくれるケースはほとんどなかった。 誤解のないように付け加えておきますが、行政サイドが手を抜いていたわけではありません。なかなか上手くいかなかったということです。 3歩進んで2歩(或いは3歩)下がりしているうちに、地域の小規模生産者と核になる地方都市の小規模商工業者が手を組んで、小さなネットワークを作り、それぞれの専門分野で作業を分担したら上手くいくのではないか、と考えるようになりました。行政に依存していてはダメなのだと。 |
|
|
|
![]() |





