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更新日:2008年8月19日(火)
卓見・愚見(投稿欄)

第11回 平和でありつづける意志……悲しい歌



中里準治 「寧楽共働学舎」ボランティア

 寧楽では農作物の手入れ(草取り)と夏野菜の収穫、それとメンバーの夏休みが始まりました。また学校も夏休みに入ったので子供連れの来客が増え……と、てんやわんやの忙しい日が続いています。 



雨の歩道を散歩するかたつむりちゃん(自宅前)


 そういった中、今年の8月15日は北京オリンピックと重なるようで、テレビの番組表の上では63回目の終戦(敗戦)記念日はちょっと影が薄いような気がしていますが、さてさて。

 ご存知のように63年前の日本は断末魔の苦しみでのた打ち回っていました。6月23日唯一の日本領土での闘いとなった沖縄戦が15万人の民間人犠牲を伴って終結、6月27日ソ連が、北海道を占領すべきかどうか検討、7月16日アメリカが原爆実験に成功、7月26日ポツダム宣言発表、日本は黙殺、8月6日広島に原爆投下、死者数は24万7千人(1950年時点)、8月8日ソ連が対日参戦、8月9日長崎に原爆投下、死者数8万人以上(同年12月時点)、8月10日御前会議が国体維持だけを条件とするポツダム宣言受諾を決定、8月12日日本のポツダム宣言受諾の条件に対し、実質承認のバーンズ回答が到達、8月13日御前会議・閣議が、連合国の回答をめぐり紛糾、8月14日御前会議でポツダム宣言受諾を改めて決定し、天皇が終戦詔書を発布、8月15日天皇が終戦勅書をラジオ放送(玉音放送)し、太平洋戦争が終結、8月23日ソ連が日本人50万人のシベリア抑留の指令を発する……太平洋戦争での死者数は日本310万人、アメリカ40万人、東南アジア諸国740万人、朝鮮・中国1020万人というデータがあるようです。
 平和であれば平穏に送ったであろう約3千万人もの人たちのそれぞれの人生や夢、希望そして将来が戦争という暴力によりこの世界から無残にもかき消されてしまいました。

 軍歌(正確には戦時歌謡)の中に「暁に祈る」という歌があります。輸送船で戦場へ出発する兵士達を見送る情景などを歌ったもので、「あゝあの顔であの声で 手柄たのむと妻や子が ちぎれる程に振った旗」とか「あゝ堂々の輸送船 さらば祖国よ栄えあれ」といった作詞がされています。
 この歌が映画の主題歌として世に出たのが1940年(昭和15年)ということですから、この年の戦争状況としてはまだ太平洋戦争が始まっていませんので、輸送海域も安全、輸送船も優秀な高速大型船が多かったでしょうから、まさにこの歌詞そのものの気分が、どうか無事に帰ってきてくれ、という気持ちとともにあったかも知れませんね。
 すこし歴史を紐解くと、この年はヨーロッパ戦線ではナチス・ドイツが優勢でイギリスの本土防空戦であるバトル・オブ・ブリテンが始まったり、日本国内では戦時体制への切り替えが強化されていました。

 6月1日横浜、名古屋、京都、神戸で砂糖とマッチが切符制となる。 9月12日野球連盟が英語の使用を禁止する。引き分け試合も廃止とする。10月6日大阪で女子モンペ部隊が贅沢全廃強調大行進を行う )が、まだ余裕があるというか、戦場ははるか遠くの中国奥地という感じで国内では戦争の残酷さへの実感が薄かったかも知れません。7月14日富士山で暴風雨があり、登山者数百人が遭難する。7月15日長春(新京)に天照大神を祀る建国神廟が建立される。8月26日文部省が法隆寺の壁画の模写を開始する。11月11日宮城前で「紀元二千六百年奉祝会」主催の式典が開かれる。4万9886人が出席する。12月11日築地市場に数の子が大量に入荷し、前年の半値となる。12月16日鉄道省が、列車内へのスキーの持込みを禁止する。12月30日上野駅が帰省客で溢れ、憲兵が行列整理に出動する。

 ところが、太平洋戦争が始まり、アメリカの反撃が本格的になる1942年(昭和17年)後半以降、制海権と制空権が徐々にアメリカに奪われていき、海軍の輸送軽視と重なって輸送船はねずみ算式に損害が増えていきました。そして使える輸送船も年代物もいいところの明治・大正時代の汽船などの鈍足おんぼろ船になっていき、日本列島のほんの目の先の海域でも簡単にアメリカ潜水艦の魚雷の餌食となっていきました。

 6月5日 日本のミッドウェイ攻略の海戦開始。 アメリカは事前に情報を得ており、基地を空にし洋上に空母を配置して日本軍を攻撃する。
 日本海軍は主力空母4隻、搭載全機263機を失う。8月7日アメリカ海軍がガダルカナル島とツラギ島に上陸し、無血占領する。12月10日御前会議で輸送船を戦争のためにまわすことで政府が大本営の要求をのみ、国民経済が破綻することになる。12月31日大本営が日本軍のガダルカナル撤退を決定する。

 このおんぼろの狭い輸送船内にぎゅう詰めにされ身動きも簡単に取れない兵士達は魚雷を受けたら数秒以内に沈没、なすすべもなくもがき苦しんで水死していく生き地獄を味わされました。ある生還者はその状況を3秒間の計画的殺人と述べています。
 「あゝあの顔であの声で 手柄たのむと妻や子が ちぎれる程に振った旗」とか「あゝ堂々の輸送船 さらば祖国よ栄えあれ」という愛国心に強く訴える軍歌「暁に祈る」の歌詞は、多分、戦争後期に至っても送る側、送られる側双方の、お国に命を差し出す意味(純粋な大義名分、気持ち)であったろうと思っていますが、そういった気持ちの彼らを待っていたのは先に述べた輸送船での阿鼻叫喚であり、輸送船での危機を潜り抜け、命からがら戦場に到着した幸運な兵士たちを待っていたのは、アッツ島守備隊から始まった玉砕という美名にすり換えられ、最後の一兵までの全滅突撃(1943年5月29日)を強要された戦闘部隊の悲惨な姿でした。沖縄を含むとなんと13もの各地の守備隊が全滅したことになります。
 
 また、補給が元々成立せず、まともな軍事作戦とは言えない最たるものとして悪名高き陸軍のインパール作戦は1944年(昭和19年)3月8日開始、7月4日で中止、 約8万6千人の参加将兵のうち戦死者3万2千人余り、戦病者は4万人以上(そのほとんどが餓死者であった)、参加3師団の師団長は(無謀極まる)上官命令に反抗したということで全員解任という悲惨かつ異常な結果に終わりました。

 戦争はそれを論じる観点によってさまざまな評価がされます。太平洋戦争肯定の観点からはあれは止むを得ない日本の防衛戦争であった、とか欧米の帝国主義からアジアを開放した正義の大東亜戦争だとか、否定の観点からはそもそも誰も勝てると思わなかった戦争を強行した一部の軍国主義者が悪いとか。しかしながら、戦場へ行った夫や子供の戦死の知らせを慟哭とともに受け取る母親の姿は交戦国双方にある真実であり、圧倒的多数の善良な庶民が訓練で敵を殺すことを教えられ、戦場で生き残っていくたびに殺人に慣れていく姿もまた同じ真実なのです。殺さなければ殺されるというのが戦場だと聞いたことがあります。それ以外に選択の余地はないと。

 63年前に銃を置いた日本国がその後、今この瞬間においても軍事作戦で外国に出兵したり、一人も殺していないということは世界に誇れることであり、掛け値なしの奇跡であり、かつての侵略行為への反省としての平和主義の忠実な実践であると言えるでしょう。
 しかし同時に関心を持ち続け、機会あるごとに表明しなければいけないのは、われわれ日本人自身が未だに当時の指導者や官僚機構がおこなった同胞への計画的犬死の強要という大罪を裁いていないということです。
 「お前たちの命は軍馬より安い一銭五厘だ」「お前たちの命はこのおれが貰った、覚悟しておけ」などなど一人の人間の命を国に捧げさせるなら、例えウソでもいいから立派で納得のいく大義名分を与えるのがせめてもの務めだと思うのですが、戦争末期ではこれすらなく、ただ命を貰った、おれの言うことを聞け、という上に立つ人間の傲慢な感覚は絶対にあってはならないと思うのです。これゆえにこの問題は戦勝国に委ねるのではなく、日本人の精神構造の問題として自らの手で決着をつけないといけないことだし、同じ日本人である私自身の心の中に潜んでいる闇の一つだとも思うのです。同種の心の闇を引き継いでいる、ということでは私にとっては決して他人事のしかも過ぎ去った過去の問題ではありません。

 人間の尊厳を奪いつくす戦争への嫌悪とともに、沈み行くおんぼろ輸送船の中でもがき苦しむ兵士たちの恐怖と無念さを想像すること、片翼をもがれ、きりもみをしながら海面に墜落していく特攻機の姿や海岸に転がる玉砕突撃をした兵士たちの幾重にも積み重なった無残な遺体の記録映像を正視すること、残された者の慟哭の姿を決して忘れないこと、今の平和の世の中をいつまでも続けていくことが彼らへの唯一の弔いであることを改めて肝に命ずること、「暁に祈る」を鎮魂曲として口ずさみながらこれらのことを念ずること、そして自分の心の闇を自覚すること。これが私にとっての8月15日なのです。




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