更新日:2008年7月16日(水)
特集
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■大学を出て社会で仕事を続けてこられて38年という団塊世代女性のSさんにお話をうかがいました。仕事関係で出張に伴う旅行も多いでしょうし、最近では息子夫婦との旅行という新しい体験もされています。さかのぼれば学生時代から古都巡りをしていたという旅好きの「アクティブシニア」の旅行噺は、今後の北海道観光のヒントになります。 全体構成 (1)古都巡りは学生時代から (2)子どもの成長と旅行スタイルの変容 (3)全道各地を回る機会を得て (4)旅には人生を変えるインパクトがある (5)旅行の苦労は、思い出の素 (1)古都巡りは学生時代から ――旅行会社の調査で旅行者のタイプには、4つのパターン(価格に関係なく旅行に行くスキミング層=5%、確信すれば旅行に行くイノベーター層=15%、追随型のフォロアー層=35%、低価格なら出かけるベネトレーション層=45%)があるそうです。Sさんは、どれに当たりますか? ■「確信すれば旅行に行く」というイノベーター層に所属するのでしょうね。後でもお話をしますが、先日(6月14〜15日)も久しぶりに日高の山(初日708メートルの「ペラリ山」、翌日810メートルのアポイ岳))を2日間楽しみました。講師は20代の時にエベレストやK2を踏破しているというアルピニストでした。この方が「雨男」とのことで、2日間とも見事な雨でしたけれども、雨は雨でいいものです。 本題に入ります。今回の取材申込を機会に自分の旅行歴を思い返してみて、随分と移動しているなあ、ということに気づきました。それは、これから時系列にお話をさせてもらいますが、最初に意識的に「旅行」したのは、約40年前のことになります。 私の場合、高校時代の修学旅行(京都・奈良)で受けたカルチャーショックが、旅好きの引き金になっているかもしれません。修学旅行特有の駆け足での奈良・京都の古都巡りでしたけれども、以後、学生時代は毎年、春の2週間ほどを寺と仏像を訪ね歩くのが大切な自分の恒例行事になっていきました。 大学生時代は和辻哲郎の「古寺巡礼」ではありませんが、聖林寺の十一面観音像などは、どうしてそれほどに惹かれるのかうまく説明はできませんが、何度でも観たい気持ちに駆られて大和路に出かけたものです。 想像ですが、小学生までは倶知安で暮らしていまして、中学校から札幌。そして、高校は札幌東区のタマネギ畑の中に忽然と誕生したばかりの3階建て新設校舎に通っていましたから、古都の魅力は格別だったのだろうと思います。 知人は、もし私立のミッションスクールにでも通っていたら、その衝撃度合いは少なかったのでは、と言います。その理由は、学校を建てるような宗教家ならば、霊的なインスピレーションも大切にして校舎の建設地を決めるそうで、公立学校とは違ってきて当然なのだそうです。たしかに歴史を刻んだ私立学校はどこもロケーションが良いように見えるのは、創設者の思いがあってのことと言われれば、それも一理あるかなと思います。 公立学校の場合は、土地取得費を抑えて、建設費用を抑えて建てるのが行政の役目でしょうから、それは仕方のないことだと思います。新設校の味気なさは創設時の先生方の意欲でカバーされていたようにも思いますが、ある種の飢餓感が古都の魅力への感受性を高めてくれていたとも今なら言えそうです。 (2) 子どもの成長と旅行スタイルの変容 ――最近ではハワイへ旅行されたそうですが、いかがでしたか? ■今年3月のハワイ旅行は、長男夫婦と一緒にコンドミニアムを利用して、ゆったりとしたものになりました。お嫁さんがきっちりと準備をしてくれました。コンドミニアムの使い方も慣れてくるとホテルよりも快適な居住空間になるものです。そして、夕陽を一生涯分、満喫した気分でいます。そして、もう一度どころか何度でも行ってみたいと思っています。 東京ディズニーランドがリピーターを確保しているのは、安全・愉しい・感動の3拍子が揃っているからだそうですが、私にとっては今回のハワイがそうでした。きっと、近いうちにまた、行くことになると思います。そう願っていれば、きっとそうなるだろうと信じているのです。 余談ですけれど、この楽観的な発想は、団塊世代の高度経済成長期に学生生活、社会人生活を過ごした人たちの特徴だそうです。就職氷河期を経験している団塊ジュニアからは、能天気すぎると冷ややかに言われている友人たちもいるようです。 今回の旅行行程については、手配など全てを息子夫婦に任せました。自分が旅程をあれこれ考えないで人に任せてしまうのは、ある意味ではツアー旅行にも似ていましたが、子どもを世話する時代から子どもの世話になるという役割交代のトレーニングになりました。少なくとも元気な中年でいれば、子どもたちとこのような快適な親子関係を保てることを実感しました。今回のハワイ旅行の体験は、夕陽並に心を満たすものでした。 子育てから開放されてからは、下の息子が韓国の大学に交換留学生として、語学研修生として、そして大学院生で留学したこともあって、約3年少しの間に韓国へは6回出かけました。旅先の言葉が少しでもできる方が旅行は愉しくなります。韓流ブームの始まる前でしたが韓国語の勉強もして、検定試験は5級から始まって3級まで受かりました。韓国の大学の卒業式にも出かけて彼の国では卒業生一人に一族が全員集まるのかと思うほどに盛大な光景も目撃してきました。この息子の卒業旅行(イタリア)に私と長男が日本から、卒業当事者の次男が韓国から出向き、ローマで合流して愉しんできました。 前の職場にあった「山を楽しむ会」には今も入っていまして、その仲間たちとは冬を除く毎月1回は山に行っています。年に1回は納会ということで「山と温泉」のセット旅行を愉しんでいます。他には、母親として社会人になった息子たちと東京で合流してのお泊り、食事会という小旅行も得がたい時間と思っています。 気心の知れた少人数での家族旅行、あるいはグループ旅行にも面白みを発見するこの数年です。年を重ねてきたことで友だちも多くなっていますので、元気なうちはそれらの人たちとご一緒の旅も愉しいものです。昨年は、学生時代からの親友と桜を観に伊豆の「かわず桜」(河津桜)ツアーに参加しました。物見遊山というとマイナスイメージで語られやすいのですが、女性二人旅も愉しいものでした。これからは、友人たちの突然の訃報に出会うことも珍しくない年代に入っていきますし、元気な好奇心を大切にするつもりです。 (3)全道各地を回る機会を得て ――母親業でお忙しい期間と会社人間の掛け持ち時代の旅行は、どのようなものでしたか? ■結婚するまでの間は、友人と道内旅行をしました。当時は今よりも団体旅行のバスツアーが流行っていたように思いますが、日本海に浮かぶ、天売島、焼尻島に羽幌からのフェリーで行ったものです。道南の恵山にはどうだんつつじを観に行ったりしました。20代の頃のことですから、食事も今ほどにはこだわらない旅行でしたが、現地ならではの素朴で新鮮な食材に満足していました。 子育て中は自分一人が愉しむ旅行とは、縁が遠くなりました。仕事が大手デパートの商品試験室ということもあって、その関係で依頼されて北海道の地域起こしアドバイザーとして道内各地をこまめに訪問する機会もいただきました。随分と北海道内で取り組まれていた食品開発にかかわるシンポジウムやフォーラムといった集まりにも壇上から発言させてもらったこともあります。そうした積み重ねが少しでも地域に蓄積されて役立っていればうれしいのですが‥‥。 デパートでの日常業務をこなしながらの参加でしたので、ゆっくりした旅気分などとは無縁で電車の中で資料を整理したりなどで、ビジネスマンの移動という感じでした。広い北海道ですので日帰りの難しいところもたくさんありました。そうした時は宿泊先での地元料理が楽しみでした。旅先での食事は、旅行の思い出を決定付ける重要なファクターだと思います。 お部屋がどんなに広くて快適でも、もし、出される料理が平凡だったら、思い出は一気に色褪せてしまうでしょうね。反対に一品でも舌の記憶に残るものがあれば、それは愉しい思い出として人にも伝えられるのではないでしょうか。旅を「他火」に語源を求める人もいるように、旅行は他の家で調理されたものを食することになります。このひと時は重要です。美味しくても不味くても「人は伝えられずにはいられない。語らずにはいられない」ことになります。これは、健啖家だった作家・開高健さんの言葉と記憶していますが、クチコミは人間の習性に出自があるだけに永遠に強いメディアかと思います。 先日もあるお宅で裏山から採ってきたばかりの山菜の御浸しをいただきました。商品にはなっていない程度に無名のもので、地元の人がひそかに季節の味を愉しんでいるようでした。流通させるのには「アシがハヤイ」ことや輸送体制や量の確保が難しいのでしょうけれど、地産地消と大仰にPRしないまでも、観光客の方々に小皿にチョッピリ提供するだけでも印象は違うのではないでしょうか? 「まかない食ですから、メニューには載せていません。サービスです。」の一言でも添えられたら、旅人は感激しますね。 北海道庁農政部のガイドブックのレポーターとして足掛け3年間(91〜94年)、全道の優良農家の方々を取材するために隅々まで行ったものです。この時の取材チームの方々とは、その後もお付き合いが続きました。スローフードの言葉がまだなかった頃のことです。 車での移動が中心になりましたが、どこも道路が立派でした。今では何かと批判にさらされる農道整備事業ですが、残された道路は北海道の資産だと思います。私は地域にある資源は、食材でも、景観でも、人材でも、歴史でも、道路でも、活用できるものは全てを使いきることが大事だと思っています。一流の料理人は、食材を無駄にすることなく使いきりますよね。同じことが、地域にも言えるように思います。あるものを活かしきることが、「グリーンツーリズム」「ヘルスツーリズム」などにつながっていくように思います。 (4)旅には人生を変えるインパクトがある ――今までの旅行で一番インパクトのあった経験は何ですか? ■仕事絡みですが、百貨店の流通グループで行った犬山城横で川くだり、信州安積野からみた穂高、初の海外旅行のヨーロッパアルプスの眺めが今も記憶に鮮明です。 なかでも特別と言っていいほど私に影響を残しているのが、1990年、アメリカ政府の招待で訪問したアメリカの1ヶ月間です。8都市を訪問しました。「小売業の視察」「有機農業の実態(生産者、流通、市場経済)」「有職女性の働き方」「高齢者」等のテーマが設定されていて、その内容に合う訪問先を政府がアポイントをとってくれていました。これは仕事としても素晴らしく充実したものでした。 その中にあった日本でも知られているフロリダの高齢者誘致地域への訪問は、移住者たちの生活ぶりから私個人のライフプランを考える上で大きな転換点になりました。高所得者の方々のリッチな生活ぶりは、目を見張るものがありましたが、生きている姿としては無気力さを感じさせるものでした。むしろ、それほど裕福ではないけれど、自分たちである程度の生活防衛をしながら仲間ともつながりをもっている人たちが元気だったことです。私が40歳少しの時の旅行で得た印象ですが、意識としては自分の将来の方向性を決定させ、今に繋がっているように思っています。 この旅行が自分にとって高齢者の暮らし方について再認識する旅にもなったと思っています。これは旅行の持つ意味は、それが仮に冒険的なくらいに活動的なものであっても精神の癒しや開放だけではない、自分の内部に向かう研鑽もあるのですね。 プライベートでは、子どもたちや両親と一緒に京都、沖縄、ディズニーランド、道内の温泉などにも出かけています。富良野、トマム、定山渓へはスキーで3日ほど滞在しながらの旅行でした。トマムは経営状態がサービスに出ていて、愉しめなかったことを覚えています。それも一種の苦い社会勉強になったかもしれません。今は星野リゾートさんが運営するようになって良くなっているのでしょう。 (5) 旅行の苦労は、思い出の素 ――今までの旅行で印象に特に強く残っているところは、どこでどのような光景が浮かんできますか? 子育てを終えた今、ますます行動的になられている様子ですがこれからの予定は? ■思い出としては、道内では、北海道の東部にある阿寒の北にあるチミケップ湖とチミケップホテルです。私は早春という時期に行ったのですが、森林地帯の中にある湖は、周囲が針葉樹と広葉樹が混じっていることもあって芽吹いたばかりの木々もあって春の紅葉を堪能しました。秋も見事な風景だと思います。湖に棲息しているヒメマスやアメマス、森林に棲むクマゲラなど、北海道でもトビキリの名所かと思います。 それとサミットの行われる洞爺湖とウィンザーホテルは、利用者として印象に強く残ります。お風呂から眺める洞爺湖もいいですし、部屋も料理も良かったですね。道外では、屋久島と岩崎観光ホテル、最近有名になった黒川温泉と旅館、山みずき、伊豆の下田観光ホテルがいい思い出になっています。国外では、先ほど申しあげたハワイです。 これからのこととしては、後期高齢者になるまで、まだかなりの時間がありますので好奇心と健康と経済力がバランスよく維持できるようにして旅行を続けたいと思っています。 まず、これまでに気に入ったところへの滞在型旅行として再訪したいと思っています。それから、山の自然の中に入っていくトレッキング程度の自然との交わりを続けたいので、ニュージーランドなどは行きたいところの一つです。他にも、豪雪の倶知安育ちが影響していると思いますが、南極や北欧などの冬場のキリッとした景色、空気のところに好奇心が向かいます。雪のある美しさが好きで北海道を離れられない、とも自己認識しています。そのほか、美術館、博物館の催事や音楽会などで東京に行くことも少なくありません。東京以外にも、松山市の三浦美術館での生誕100年記念「ルーシー・リー展〜静寂の美へ」(1902−1995)、大阪中の島の東洋陶磁器美術館には、油滴天目茶碗を観に行ったりしています。 英国人のイザベラ・バード(1831〜1904)が、1878年という明治初期に東京から日光、新潟、北海道と男性通訳一人を連れて旅をして、「世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」と書き残しています。 明治初期と平成20年では、約130年の時間が流れていて、日本も世界一安全な国ではなくなりつつあるのかもしれません。それでも、トラべル(travel=旅行する)とトラヴェイル(travail=労苦)は、語源的には一緒だそうです。苦労も旅行のスパイスくらいに受け止めて、これからもアチコチに出かけたいと思っています。場合によっては、それが旅の思い出で一番輝くことになるものです。でも、少しずつトラベルからもう少し気軽なツアーを志向するようになるのかもしれません。(終) 取材を終えて:行動的な団塊世代のお一人に出会えました。そして、お話を聞き終えて思い出した村上春樹のスコットランド・アイルランド紀行の「あとがき」最後のフレーズがありました。それは次のようなものです。(出典:『もし僕らのことばがウィスキーであったら』平凡社・1999年) ――旅行というのはいいものだなと、そういうときにあらためて思う。人の心の中にしか残らないもの、だからこそ何よりも貴重なものを、旅は僕らに与えてくれる。そのときには気づかなくても、あとでそれと知ることになるものを。もしそうでなかったら、いったい誰が旅行なんかするだろう? 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