HOME > 北国生活、それぞれの科学 > 第67回 ヒ素〜嫌われ元素の代表格〜にまつわる話
更新日:2008年6月19日(木)
北国生活、それぞれの科学
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ヒ素は水銀、カドミウムなどと同様に摂取すると生体影響が大きく、健康被害をもたらすことが多いことから、嫌われ元素の代表格と言えます。現在、ヒ素に係わる公衆衛生上の最大の問題は、ヒ素で汚染された地下水の飲用による慢性ヒ素中毒で、インド・バングラデシュを始め、世界各地で発生しています。 この元素は地球上に広く分布しているため水やいろいろな食品を通じて微量ながら誰もが毎日摂取しています。工業的にはガリウムヒ素のような半導体として先端技術を支える有用な元素の側面を持っています。当所ではヒ素及びその化合物の有害な面に着目して、微量レベルでの化学形態別の定量法の開発や動態把握を目的とした研究を行ってきましたが、ここではヒ素の有害性を示す事例などをいくつか紹介したいと思います。 化学形態によって異なる生体影響(毒性) ヒ素は自然界で主に岩石や土壌中に無機ヒ素として存在します。また、魚介類には主にアルセノベタインとして、海草類には主にヒ素糖と呼ばれる有機化合物として含まれています。無機ヒ素(三価の無機ヒ素は亜ヒ酸、五価の無機ヒ酸はヒ酸と呼ばれます)はその強い毒性を利用してかつてはヒ酸鉛のような形で殺虫剤に、また、木材の腐食防止剤(CCA:銅、六価クロム、亜ヒ酸の混合物)などとして大量に使われました。無機ヒ素によるわが国の健康被害事例としては、ヒ素ミルク事件(1955年)、土呂久(とろく)鉱毒事件、和歌山ヒ素カレー事件(1998年)などがあります。一方、アルセノベタインやヒ素糖などの有機ヒ素は毒性が低く、健康被害事例は報告されていません。そのため、有機ヒ素は毒性が低いという表現がしばしば用いられて来ましたが、茨城県神栖町(現在は市)の地下水汚染事件(2003年)では毒ガス由来の有機ヒ素が原因でした。 無機ヒ素混入事件 1955年、徳島県内の工場で製造された粉ミルクが原因で乳児が亜急性ヒ素中毒(神経障害、臓器障害など)を発症した事件がありました。粉ミルクに添加されたリン酸化合物の中にヒ素化合物が不純物としてして含まれていたのです。西日本各地で約12,000人の乳児が約3ヶ月にわたって無機ヒ素を摂取してしまい、100名以上の乳児が死亡しました。現在、事件発生から約50年経過しており、潜伏期間を経てさまざまな健康被害が顕在化することが危惧されています。 1998年7月に和歌山市で起こったカレー事件では、約200グラムもの無機ヒ素(As2O3、亜ヒ酸)の粉末が混入されたカレーを食べた夏祭りの参加者が犠牲になりました。カレールーのヒ素濃度は6,000 ppm以上であり、スプーンで数口摂取するだけで中毒を発症する濃度でした。4名が死亡し63名が急性ヒ素中毒になりましたが、原因物質が特定されたのは発生から10日後のことでした。また、生存者の尿や髪のヒ素濃度が正常値範囲に回復するまでには2〜3ヶ月を要し、DNA損傷も危惧されました。この事件は世界的にもまれな凶悪で悲惨なヒ素急性中毒事例でした。 井戸水汚染による健康被害〜自然由来のヒ素 安全な飲料水を確保することが困難な人口は21世紀に入っても軽く20億人を超えています。バングラデシュやインドベンガル州などでは、日本における基準0.01mg/L(ppm)の数十〜数百倍もの濃度のヒ素を含む井戸水を飲用にすることで、数十万人もの慢性ヒ素中毒患者が生じています。人為的な汚染ではなく自然由来の無機ヒ素によるものです。同様のヒ素汚染による健康被害はその他、中国、ネパール、タイ、メキシコ、アルゼンチン、チリなど世界各地で報告されており、ヒ素の曝露人口は数千万人に及んでいます。潜伏期間を考慮すると患者はこれからも増え続けることが予想され、重大かつ深刻な問題です。 魚介類のヒ素 食用とされる魚介類や海藻には数ppm〜百数十ppmのヒ素が含まれていることから、数十年に亘ってヒ素の分析が行われて来ました。1977年、魚介類の主要な水溶性ヒ素化学種としてアルセノベタインが単離され、また、1981年には海藻類の水溶性ヒ素化学種としてカジメから2種類のヒ素糖と呼ばれる化学種が単離・構造決定されました。魚介類や海藻を頻繁に摂取しても慢性ヒ素中毒を発症しないのはこうしたヒ素化学種の毒性が大変低いことによると考えられています。当所においてもコンブ、ワカメ、モズク、ノリなどの食用海藻について調べた結果、水溶性ヒ素の大部分は数種のヒ素糖であることを明らかにしており、また、海産の二枚貝にはアルセノベタインの他にヒ素糖も含まれていることがわかりました。魚介類や海藻を頻繁に摂取しても慢性ヒ素中毒を発症しないのは、毒性が大変低いこうしたヒ素化学種として含まれていることによると考えられています。北海道の重要な水産物であるホタテガイの貝柱にはアルセノベタインという形で少量含まれているだけですので、食用としての安全性には問題がありません。 しかしがなら、ヒジキについてはコメントが必要です。ヒジキなどホンダワラ科の海藻はヒ素濃度が高く、海藻の中では例外的に無機ヒ素の割合が高いのです。こうしたことから2004年に英国では国民に対しヒジキの摂食を控えるように呼びかけました。一方、わが国の厚生労働省は通常の摂取量の範囲であればWHO/FADの提唱する無機ヒ素の週間耐容摂取量(PTWI、0.015mg/kg/週)には達しないこと、ヒジキには健康増進効果が期待できること等を理由に、食べ過ぎなければ安全であると強調しています。ただし、これは慢性ヒ素中毒を前提とした許容量であることから、発がんリスクを定量的に見積もるべきだとする研究者もいます。いずれにしても、バランスのよい食事をすることが大切です。 負の遺産による健康被害例 2003年3月、筑波大学病院で神経症状の認められた子供を診察した医師が、飲用にされている井戸水に問題があるのではないかと疑問をいだき、茨城県衛生研究所で神栖町(現神栖市)の井戸水を調べた結果、ヒ素濃度が異常に高いことが分かりました。また、化学形態を詳しく調べたところ、地下水や井戸水に普通に見られる無機ヒ素ではなく、ジフェニルアルシン酸という化合物であることが分かりました。この化合物は戦争中に毒ガスの原料に用いられたものです。汚染源としてコンクリートで固められた物体が発見されるまで10ヶ月以上かかりました。この塊は養魚場を埋め立てるために運ばれた土砂の中に混じっていたようで、地下水の移動に伴って汚染が拡散しました。この汚染事故では300名近くに健康手帳が配布されるとともに健康影響調査が行われました。旧日本軍関係の毒ガスの処理に関してはいくつかの事案がある他、明確な処分記録がないなど未だに過去の負の遺産を抱えています。 有害な元素による健康影響を受けることのないよう、当所では迅速微量分析法の開発を進めて来ました。ヒ素のように化学形態によって毒性や挙動の異なる元素については、分離機能に優れた装置と検出感度のよい装置を組み合わせる手法の開発も行ってきました。今後も有害な化学物質の環境動態や暴露評価、生体影響に関する研究を行っていきたいと考えています。 プロフィール:じんかずお。北海道立衛生研究所健康科学部長。産業廃棄物の有害物質の分析や農薬の環境動態に関する研究、室内空気中の化学物質に関する研究、ヒ素の環境動態把握に関する研究、希少猛禽類など渡り鳥の鉛汚染に関する研究、などに取り組んできた。理学博士。平成19年6月より現職。 |
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