HOME > 卓見・愚見(投稿欄) > 第8回 寧楽原生花園
更新日:2008年5月19日(月)
卓見・愚見(投稿欄)
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思いがけずに白鳥が飛んできたり、野花が次々と咲き始めたりで寧楽もやっと春がやって来ました。その一方で川は雪解けの増水が日増しに強くなり、釣りはしばらくお預け状態です。この調子だと5月の連休あたりから本格営業開始であろうとへぼ釣師はのんびりと構えています。少なくとも表面上は。 |
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| さて、寧楽共働学舎の北側は山林になっていますが、その一角で薄紫のカタクリ、青いエゾエンゴサク、それに野生化した黄色の水仙が群生しています。 この辺りは集落の墓地跡とのことですが、墓地というと火の玉、お化け、肝試しと不気味で怖い場所をイメージするか、死者の魂が安らぐ聖なる場所とイメージするかで180度受取り方が変わるわけですが、へぼ釣師はもちろん後者の発想をします。 これは、エッセーで原住民の放置された墓地を一人で手入れし続けた男の生き様を書きとめた写真家の星野道夫さんの影響でしょうが、お墓はやはり霊的な安らぎの場なんだということを強く感じます。 で、この場所の多くのお墓は移設されていてわずかの石の残骸が残っているだけですが、長年放置されてきたため、熊笹や柳の木、イタドリなどが花々を押しやってカタクリの群生も年々小さくなっているとのことで、とても残念に思っていました。 へぼ釣師、生来の無骨者ゆえ、まさか花鳥風月を愛でるようになるとは思いもよりませんでしたが色々な花の写真を撮っては寧楽共働学舎のホームページに載せている身としては、今の状態は自然のままに任せているとはいえ、いかにも花たちに申し訳がなく、これはなんとか場所の手入れをして、花たちがもっと綺麗な姿で伸び伸びと咲き誇れるような場所にしてやりたいと思った次第です。 というのは、写真は虚と実両面を併せ持っており、構図の取り方や背景をボカすことにより撮影者のイメージにとっての邪魔物をごまかすができるからです。さらにデジカメはパソコンで写真の加工がかなり出来ますから、なおさらに写真はより虚に近づくというわけですが、これはあまり良くないなあと思うのです。 ところで今回、この場所で花を撮っていると、特にカタクリの花たちが次々に私を撮ってと呼びかけてくるのです。呼びかけてくる花はだいたい大振りのが多く、これは大女だったカミサンが化けて、もとい、花の姿を借りて私に会いに来たなと直感しました。こうやって春の朝のかれこれ1時間くらい、花とデートしていましたっけ。 これは心底楽しい時間でしたが、フト、この場所をちゃんと整備すること、こいつを来年以降の楽しみにすること、名づけて「寧楽原生花園計画」を2年がかりくらいでやってやろうと思い立ちました。 この事業?には学舎にある草刈機とチェーンソーを覚えなくてはなりません。それに軽トラがあると片付けが早いのですが学舎には軽トラがなく、一人でやるのはちょっと大変かと思っていますがまあいいかとね。 で、気が早すぎますが、寧楽原生花園がその名に相応しい場所になったあかつきには、カミサンの墓を花園の中に作ってやろうかとも思っています。もちろんゆくゆくは二人のを、ということでもあるのですが、毎年、冬は雪に埋もれ、春になるとカミサン好みの可憐な野の花の群生の中にひっそりとした小さな墓がある、というのもなかなかに良いもんだと。それに職住接近ならぬ墓住接近なので、いつでも手入れはできますしね。 それで脱線ついでに(もともと何が脱線前でどこが脱線後なのか分かりませんが)お墓のイメージを言いますと、お墓は幅5センチくらいの土に埋め込んだ木の枠で囲んだ二人分80センチ四方くらいの大きさで、枠というよりは境界線の中も土にして花を咲かせ、後ろの枠の近くに墓標として弁当箱大の大理石を置こうか、というもの。そして大理石にはちょっとした墓碑銘を刻むことにしましょう。 さて、実はカミサンの遺骨はまだ私が持っています。世間体を気にした言い方をすると、手元供養というやり方です。手元供養というのは、まあ、要するにお墓を持たずに遺骨を手元に置いておくというもので、ビジネスとしては遺骨を高温で焼結してセラミックプレートにするとか、人造ダイヤモンドの指輪にするといった形があるようです。 で、私の場合は遺骨を二度も焼くのに大いに抵抗があって、友人の奥方のお友達の益子焼の陶芸家にお願いして、通称カミサンの居場所と呼んでいる骨壷を作っています。 この居場所、六角形をしていて六面にカミサンの好きだった花の絵が描いてあり、蓋にはカミサンの好きだった猫の、それも太めのがデンと座っているという代物ですが、実はカミサンの好きだった花を全く知らなくてあちこちに聞きまくって調べた、というお粗末な顛末があるのです。 まあ、ここいらの経緯は省略するとして、お墓なし、位牌なし、仏壇なし、遺骨は手元に置いたままとなると、これはもうすごいことになります。いわく成仏できない、お墓も買えない位の貧乏なのか、とか、ケチとか、要するに死者をないがしろにするのもはなはだしいと言われるわ言われるわ。特にカミサンの親族筋から猛攻撃を受けました。 で、本人、つまり私ですがそんな声もどこ吹く風とばかり平然としているか、というとこれは悩み放しに悩むのです。一番きついのは成仏できないと言われることで、まるで自分が死後も相手をむち打つ極悪非道の冷血漢、究極のエゴイストというような最悪の自己嫌悪に陥ります。 でも世の中にはやっぱりカミサンへの想いを断ち切れず、同じように手元に遺骨を置いている同志が少なからずいて、話を聞くと絶体絶命の大窮地に陥った時に現れた後光がピカピカ光り輝いているわが援軍のような、心底ありがたい、救われた気持ちになりますね。 でも、札幌から170キロほど離れた寧楽へ移住してしまった今、札幌でカミサンのお墓を作らなくて正解だったという結果ですので、遺骨の持ち歩きもカミサン思いの故よと胸を張ることができますやね。開き直りですけども。 そして二人の子どもたちには、オレが死んだら骨をカミサンのと混ぜて一緒にした後は海にでも散骨してくれ、それがオレにとっての究極の癒しだ、と言ってあるのですが、今年になって癒しと安らぎは違うということを知りました。 癒しには痛みが伴うということなのですが、そう思うと私の今の手元供養の状態はカミサン亡き後もまだカミサンを襲った憎むべき敵との闘いを止めておらず、この闘いを続ける中に癒しを求めているのではないかと。 そして、今回のカタクリやエゾエンゴサクの群生の中にひっそりとたたずむであろうカミサンの墓の計画は、もう十分だから銃を置き、安らぎを見出して欲しいというカミサンのメッセージだろうと思うようになりました。 美しくまとめたこのカミサンからのメッセージ、しかし、もしかしてカミサンは散骨なんかされたらたまらんということかも知れませんぞ。確か、生前、本気90%で、オレは散骨だと言ったらカミサンは得意のお言葉、「私もよ」とは言わなかったし、その目は勝手にすれば、と冷たく語っていたような記憶があるし、それとも骨にされてまで亭主と一緒に混ぜられるのが嫌なの? ・・・ということは墓も一緒は嫌なの? それはないでしょ、それは。・・・と、またしても混乱のうちに2年目の命日は刻々と近づいてくるのであります。 |
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