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更新日:2008年5月19日(月)
特集

6月号 特集1 「金融と環境」を巡る世界潮流〜洞爺湖サミットを前に(上)寺島実郎



■本特集は、洞爺湖サミットを直前にして北海道の立ち位置をグローバル化する世界の経済環境の中で確認するものである。

寺島実郎 (財)日本総合研究所会長・三井物産(株)常務執行役員・早稲田大学アジア太平洋研究センター客員教授

プロフィール:1947年北海道生まれ。73年早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。同年三井物産に入社。調査部、業務部を経て、83年より米ブルッキング研究所(在ワシントン)へ出向。その後、米国三井物産ワシントン事務所長(91年)、三井物産業務部総合情報室長(97年)を経て、(株)三井物産戦略研究所所長。
(本稿は寺島氏の了解を得て、08年4月1日・
火・札幌で開かれた「21世紀遠友夜会」の講演記録要旨を構成したものである。文責・編集部)
     
全体構成
(上)
 (1) はじめに
 (2) アメリカ衰亡論〜1980年代
 (3) 蘇るアメリカ〜1990年代
 (4) ITとFTの結婚
 (5) 悪知恵の資本主義
(下)
 (6) 10万人と100ドル
 (7) ポンドに対してドルの価値半減
 (8) 国から理念が消える時
 (9) 排出権取引と弱者の恫喝
(10) 地球環境税の発想
(11) 「人間は時代の子である」

(1) はじめに

 ちょうど明日の夜、こちらでは北海道放送(HBC)で「報道大河スペシャル いのちの地球 警告 今そこにある50の危機」という特別番組が4時間にわたって放送されます。地球環境問題で民間放送が4時間もの番組を制作、放映するというのは歴史的にも過去になかった話で、関口宏さんの司会で私は専門家二人のうちの一人としてコメントを述べる立場で参加しております。先週、アメリカ西海岸を動いて帰国した翌日、番組収録で4時間のお手伝いしました。南極、北極、キリマンジャロの上、あるいは排出権の取引の現場など、今日の環境問題の全体感をもつのには、非常にいい番組だと思います。

 民放の番組が相当に劣化していると言われるなかで、放送局が少し根性を見せるように環境問題の特別番組を制作し、放送します。これを見ることで洞爺湖サミットの意味も新しい角度から見えてくるのではないかと思います。

(2) アメリカ衰亡論〜1980年代

 今日は50分足らずの時間ですので、あまり体系だった話はできませんが、先ほどまで「平成20年になったけれど、この20年間をあなたはどう振り返りますか?」という設問で取材を受けていましたので、そこから話を始めます。

 この会場にいらっしゃる大学生くらいの年齢の方々は、ちょうど平成という時代を生きてきたということになると思いますが、歴史の脈絡のなかでこの平成の20年間を振り返ってみたいと思います。
 1989年(平成元年)にベルリンの壁が崩れました。従って平成の20年間というのは、冷戦後の世界が始まったということでもあります。平成の初頭は、1990年を挟んでベルリンの壁の崩壊、1991年にソ連邦が崩れるに至るまでの時代にあったのです。

 あれから20年。
 私は1987年5月から97年5月まで、アメリカの東海岸で仕事をしてきました。前半の4年は、バブルに向かっていった日本をニューヨークから見ていたことになります。そして、91年、ソ連崩壊の年からワシントンで仕事をするようになりました。ここで6年間過ごし、97年に東京に戻ってきました。帰国から10年が経過しましたので、私の頭の中では平成がすっぱりと10年単位で分けられていることになります。後半の10年は日本にいたことになります。

 私の赴任していた80年代末のアメリカは「アメリカ衰亡論」一色でした。ベトナム・シンドロームを引きずっている一方で、85年のプラザ合意以降の円高を梃子に日本製品が怒涛の如くアメリカに進出していったものです。ソニーがコロンビア映画を買ったとか、三菱地所がマンハッタンのロックフェラーセンターを買ったとか、アメリカを買い占める日本、と言われたのが日本の80年代末でした。今と比べますと隔世の感があります。
 今でも覚えているのが、1989年、世界の銀行ランキングでトップ・テンのうち9行までが日本の銀行だったことです。総資産ベースでの話ですが、あれから思えばご当地の北海道拓殖銀行を含めて、見事なまでの日本の銀行の凋落ぶりです。

(3)蘇るアメリカ〜1990年代

 そして90年代に入ってからの10年をみると「蘇るアメリカ」に並走する日本でした。登場してきたキーワードが「IT革命」。「ITで蘇るアメリカ」とも言われ、われわれはそれに付き合わされることになります。この「IT革命」とは何か、ということになりますと「猫も杓子もインターネット」という時代になって、「IT革命」を象徴する存在としてのネット・ビジネスです。

 私は90年代に書いた本で「やがて技術に詳しい歴史家のような人が登場してきたら、IT革命をこう総括する時代が来るでしょう」と予言していたのですが、「IT革命」とはアメリカが主導した冷戦後の軍事技術のパラダイム転換だったのだ、ということです。
 今日、われわれがインターネットと呼んでいるものの基盤技術の研究開発は1962年に始まっていることにその歴史的意味があります。ペンタゴン(アメリカ合衆国・国防総省)との関係が深いランド・コーポレーションのパール・バランという研究員を軸にして、今日、われわれがインターネットと言っているものが開発されました。パケット交換方式情報ネットワークという技術です。

 これは冷戦期の時代の産物です。つまり中央制御の大型コンピューターで防衛システムを管理していたのでは、ソ連からの核攻撃で中央コンピューターがダウンした時には、全ての防衛システムがブラックアウトするから、そのリスクを回避するために開発された開放系、分散系情報ネットワーク技術です。
 つまり、多様な回路から情報が伝達されるような柔らかい仕組みを創っておくことで中央の回路が破壊されても対応できるようにしたのが、インターネットの基盤技術なのです。
 これが1969年のペンタゴンのARPAネットとなって実現しました。1971年には本格的に稼動しました。今日のインターネットの原型となるものです。それが80年代末の冷戦の終焉となって、軍民転換の考えが浮上してきました。今までは軍事目的で開発してきたものを民生用に活用しようという「軍事技術のパラダイム転換」だったのです。その象徴としてわれわれの前に出てきたのが、インターネットだったわけです。

 学術ネットワークとリンクしたのが、1993年です。今から15年ほど前のことです。
 商業ネットワークとARPAネットがリンクして、そこから怒涛のようなIT革命が始まりました。つまり、IT革命の本質は何かというと、冷戦が終わったことで軍事技術が民生用に活用されるようになり、当時の言葉で「ピース・デビデント」、「平和の配当論」などと言われたものです。
 そして90年代、アメリカが「ITで蘇る」と言われ、「IT革命」で世界をリードする国として、10年間で「衰亡するアメリカ論」を突き破って出てきたと言えます。単純に言えば、「蘇るアメリカ」を創造したということができます。

(4)ITとFTの結婚

 ところが、1990年代に情報ネットワーク革命が、産業セクター別にどのように活用されたかを調べますと、世に言われるようにITとFT(Financial Technology)の結婚が進行したのです。つまり、産業別でITを一番有効に活用したのは、ネットワーク情報技術を取り込んだ金融セクターなのです。オンライン情報ネットワーク技術を活用して、新しい金融ビジネスモデルを作りだしたのです。

 かつて、銀行の果たしていた機能というのは、産業金融でした。銀行は自分たちの利益を出すために、企業に資金を提供して、その企業が育って、利益を上げて、利息を付けて銀行に借りたお金を返していたのです。この産業金融のメカニズムが回ることによって拓銀も成り立っていたのです。
 ところが、次第に銀行は利益を上げるシステムが変わっていきました。金融工学というITを利用した金融ビジネスモデルが俄然、注目されるようになりました。これは企業の活動を取り巻くリスクをマネジメントすることで利益を上げていく、という仕組みですが、どんどん肥大化していきました。
 これがFTとITの結婚であり、その結婚の谷間に生まれてきたのが金融工学で、その象徴がデリバティブというものです。つまりITを利用した金融ビジネスモデルです。コンピューターの中を短期の資金が駆け巡ります。IT革命が進行しなければ成り立たないような金融ビジネスに傾斜していったのです。ここに登場したのが、ヘッジ・ファンドの世界であり、デリバティブなわけです。

 1987年5月の土曜日、ニューヨークに辿りついて目にしたニューヨーク・タイムスの紙面が鮮明に記憶に残っています。改めて自分には知らないことが多いなあと思ったのが、マイケル・ミルケンの1986年の個人所得がマクドナルドが世界に2万店舗を出して得た所得よりも多いこと報じた記事でした。マイケル・ミルケン(1946〜)とは、どういう人物なのか。この人こそウォートン・スクール(ペンシルベニア大学)でMBAをとって、世界の金融工学のフロントランナーになって、「ジャンクボンドの帝王」と言われた人物です。

 当時、私は『中央公論』に寄稿をし始めていまして、激しくマイケル・ミルトン批判をしたものです。つまり、彼のやっていることはマネーゲームでしかないのではないか、何の付加価値も生み出さない金融ビジネスではないのか、という主張です。
 ところが今になってみれば、「まだマイケル・ミルケンはましだったな」という声が出ています。というのは、彼のようなLBOファンド(*)の仕組みが作られてことによって、若い挑戦的な経営者やベンチャービジネスを起こすところにお金が回ることになったのです。これによって、マイクロソフトのビル・ゲイツや、サン・マイクロなどの一連の企業が資金を調達できたわけです(*編集部注:レバレッジド・バイ・アウトの略で、被買収会社の資産を担保として調達した資金を元手に、当該会社を買収し、後に被買収会社の事業から得られるキャッシュフローによって借入金を返済する)。
 90年代の蘇るアメリカを実現させた背景には、金融セクターのフロントランナーとしてのマイケル・ミルケンのような人間の知恵が活きたことも事実であります。ところが、90年代に入ってIT革命はどのように進化していったのでしょうか。

(5)悪知恵の資本主義

 1980年代までアメリカでは、理工系大学卒業生の7割までは軍事産業に就職していました。冷戦時代であったためです。ところが、90年代に入って冷戦構造が終焉を迎えて、「平和の配当」によって軍事産業がどんどん圧縮され始めました。軍事予算が3分の1もカットされました。これでアメリカの軍事産業に合従連衡の嵐が吹き荒れたわけです。
 そのため、軍事産業は理工系の学生を雇用しなくなりました。その理工系の卒業生たちが、金融に行きだして金融セクターを支え始めたのです。分かりやすく言いますと、物理、数学に明るく、計数にもIT技術にも長けている若い人材が、金融界に進出したことになります。昔、日本でも銀行とか証券会社に勤めるといったら、文科系の経済学部や商学部を出た人間でした。今やそれも様変わりをしています。日本でも理工科系の卒業生がどんどん金融関係の会社に入っていっています。

 理工科系の知識を金融に活かしてみようとすれば、新しい金融ビジネスモデルとしてデリバティブのような商品が出来てくるわけです。90年代のアメリカ金融界で大きな存在感を示したのが、ジョージ・ソロス(1930〜)です。私も3度ほど会って、彼の本の監訳などもしていますが、世界一の投機家であり、世界一の慈善家である、という不思議な人物です。「ヘッジ・ファンドの帝王」として登場したソロスは、90年代の特色です。そして、21世紀に入ってきたのです。
 1997年のアジア通貨危機の時、マハティール(1925〜。マレーシア第4代首相)が、ソロスを名指しで罵倒していたのを思い出します。そのころ、私はマイケル・ミルケンはまだマシだったけれど、ソロスは酷い、と批判を繰り広げておりました。
 しかし、今になりますと、「まだ、ソロスはマシだった」ということになります。

 今の時代、金融の醜さがサブプライム・ローン問題であぶり出されてきています。これは、悪魔の知恵としか言いようがないほどのものです。私たち自身、ビジネスの現場に近いところで動いている者にとっては、誘惑を感ずることもありえるものです。
 非常に慎重に考えるべきですが、若くて優秀な理工科系の卒業生が、アメリカでは年間6万人くらいがうんかのように輩出されてきます。また法科大学院を出て弁護士資格を持った若手もまた大量に出てきます。これらの頭でっかちな人たちをニューヨークの高層ビルに集めて、自分たちのやってきたことを活かして濡れ手で粟のようなビジネスを考えた先がサブプライム・ローンです。

 これは、貧困層にも家を建てさせて、アメリカの住宅ブームを長びかせようとするものです。所得の低い人たち対象ですから、リスクは高いのですが、3年後には住宅価格が倍になっているから、買い替えさせればいい、というものでした。
リスクが高いという条件を抱えながら、ともかくサブプライム・ローンを考え出したのです。先日、ニューヨークで金融関係の人に会って名言を耳にしました。それは、「金融工学とは? 本来、金などを貸してはいけない人たちにどうやって金を貸すかの技術である」というものでした。
 「悪知恵の資本主義」を見事なまでに表現しています。リスクの高い債券をパッケージにして証券化したところに世界的な過剰流動性状態にあるお金が流れ込んだわけです。「ダンボールを入れた饅頭」のような話です。この構図のなかでサブプライム・ローン問題に直面しているのが現代のわれわれです。

 この「悪知恵」の特徴は、匿名であるということです。これは時代の変化を暗示しているように思えます。マイケル・ミルトンにしてもジョージ・ソロスにしても、固有名詞で語られていたビジネス・モデルでしたが、今は違ってきています。









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