更新日:2008年4月15日(火)
特集
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全体構成 上 (1)老人クラブ会長を20年続けています。 (2)「財政再建団体入り」後の生活不安 (3)生活環境の変化が追い詰めるもの (4)夕張市立総合病院が抱えてきた「北炭病院」 下 (5)破綻で見えてきたこと、だからこそ (6)立ち上がる住民たち (7)重司さんにとっての夕張と石炭 (8)夕張は北海道の10年後を警告するカナリヤ? (1)老人クラブ会長を20年続けています。 この日、札幌から夕張に向かう夕張鉄道バスは、札幌市内の渋滞で同じ市内にある大谷地ターミナルまで予定を超える時間を要した。その遅れは夕張市に到着するまでそのままで、乗客の中には接続するバスの便も変更する人たちがいた。バス会社の予定では、札幌―夕張間は1時間40分で運行することになっているが、30分を超える遅れとなってしまった。 夕張のバスターミナルまで迎えにきてくれたのは重司さんの娘さんと小学校時代からの友だちという方。その方の運転で大沼さん宅に向かう。移動中、住民の立場からの夕張の今をいろいろと話してくださった。 向かった先は、1971年(昭和46)に建てられた「炭鉱住宅」で2階建て。10棟、40軒が一区画を形成している。出来た当時は北炭の社員住宅であった。大沼さんの住宅は2階で、現在は市営となっているこの棟は現在も4軒が入居している。新築の時からここに住んでいる。この集落では「ヌシ」のような存在らしい。北炭の労働組合員として厚生委員というような役目もあって、当時から40軒の取りまとめ役をされていた。そして今、その延長線上に地区の「老人クラブ」会長を20年以上も続けているということなのだ。大沼重司さん、78歳。 大雪が続いてユキカキの雪を道路に積み上げるしか捨て場もない時期だったが、車が駐車できるだけのスペースをきれいに除雪して待ち受けてくれていた。 事前に電話でお聞きしていた今冬の夕張生活は、「市の除雪もままならない状態で、時々ニュースで報じられるように老人たちの住むところはひたすら、春を待っているところです。私が所属する老人クラブも以前は30名近くが週に1回、午前9時から午後2時半くらいまで集まって愉しく時間を過ごしていたけれど、この数年は皆さん、体調がすぐれなかったりして参加者は減り続けています。最近では、10名少しが常連という感じです。まして、冬場は大雪の中を出てくるというのも大変でして、体力と気力がなければヒキコモリ状態になってしまうのが実態だね」というものだった。 大沼さんの住む住宅街は、空家がない状態で「孤独死」の問題は顕在化していないが、別の集落では1棟に高齢者が一人しか住んでいないところもあって、「そうしたところでは、体調を崩しても誰にも気づかれないでアッチへ逝ってしまうことも無理からぬことだね。年末にもあったヨ」と穏やかに話してくれた。その後、お会いいただいた朝日新聞夕張支局長の本田雅和さんから年末に清水沢地区で一人が脳溢血による孤独死であったことを教えられた。発見時までストーブが点けっぱなしだったそうだ。これはこれで火事の可能性もある話である。 「炭鉱災害では大事故はニュースになるけれど、小さな事故は日常的にあって、その都度、葬儀の段取りに忙しかった」ともおっしゃる大沼さん。炭鉱街では、日常的に「死」との遭遇があった、ということだ。この点では孤独死についても「死」の受け止め方は、炭鉱街と外部の者とでは、幾分違う色調を帯びているかもしれない。 (2)「財政再建団体入り」後の生活不安 「老人クラブ」会長の後継者も見当たらない状態では、終身会長になりそうなご様子の大沼さん、月に1回は病院に通っている。以前は夕張市立総合病院に行っていた。が、その総合病院は、昨年(2007)4月から「夕張医療センター」として民間経営になった。市の財政破綻によって総合病院は縮小せざるを得なくなった。その余波は、ご自身がかかっていた診療科目の廃止になり、現在は目的の診療科目のある民間の医院に出向いている。高齢者にとっては医療施設の有無は、生活する上での大きなよりどころであり、生命線であることは言うまでもない。 総合病院時代が171床だったのに対して、現在の診療所は、19床規模に激減した。夕張市の人口とも比例するような数字である。因みに同市の人口はピーク時の約12万人(1960年)が、現在(2008年1月1日)は、12,198人(6,392世帯)である。 「この医療体制の縮小が生活者にとっては、一番の不安材料です」と重司さんの娘さん。昨年、職場で左手に大怪我。救急車で千歳市の病院に運ばれ、その後、札幌市立病院で4ヶ月の入院生活を送った。「この時救急車の中でどこに入院することになるのだろうという不安感は、今も忘れ難い」とおっしゃる。この状況は、全道の過疎地どこでも起きている。 このほか、日常生活での不便さ、行政関係の料金の値上がりなど、生活を圧迫する要因は限りなく増えていることは、マスコミの報道通り。この住宅街には公設の浴場が、15時半〜20時まで開いている。390円の入浴料金。しかし、地区によっては隔日での営業で、夏場にメロン農家などで仕事をしてきた人には不便このうえない。毎日、開いているこの地区まで車で入浴に来る人たちもいると言う。 さらに娘さんの場合は、左手の怪我のため、「銭湯で背中を流してもらうこともありますが、そうした顔見知りの人たちが転出してしまうことも覚悟しなければならないし、小さなことですが日常生活での心配は尽きないんです」と不安を隠さない。 参考までに、1970年(昭和45)からの人口推移(市長)を見ておこう。産業を失う地域がどのように人口流出をするのか、その歯止めに「炭鉱から観光へ」の努力だけでは結果を残せなかった無念さが伝わる数字である。今も行政マンとして業務を続ける人たちの苦労は想像に難くない。「手足を縛られて泳ぎなさい、といわれているのに等しい」とは、全盛時を記憶するOBの方の弁である。 1970年(昭和45) 69,871(橘内末吉) 1975年(昭和50) 50,131(吉田 久) 1980年(昭和55) 41,715(中田鉄治) 1985年(昭和60) 31,665(中田鉄治) 1990年(平成 2) 20,969(中田鉄治) 1995年(平成 7) 17,116(中田鉄治) 2000年(平成12) 14,791(中田鉄治) 2005年(平成17) 13,002(後藤健二) (3)生活環境の変化が追い詰めるもの 昨年(2007)、夕張市は財政再建団体に認定されたのだが、そのことによる市民生活の影響は、どのようなものになっているのか。「全国最低の行政サービスに最高の負担」などと報道されるが、皆さんは、再建1年目が終わる今年とこれから続く17年間への見しが予想しにくいことが気がかりの様子だった。 インターネットで「夕張」を検索すれば、以下のような状況がたちどころに画面に出てくる。Wikipediaを参照すれば、「財政再建」の四文字は職員給与の削減ぶりに明快だ。2006年9月の実施では、市長は50%、助役は40%、教育長は25%、一般職員は15%。2007年4月からは、さらに削減が進み、市長75%(年収にして374万円)、助役70%、教育長66%となって、市議会議員も18人から9人に半減して、議員報酬も約31万円から18万円に‥‥という具合。市民負担では、市民税、固定資産税、軽自動車税の増額、入湯税の新設、ゴミ処理の一律有料化、施設利用料、下水道使用料の引き上げ、敬老パスは個人負担額を増額。これらのことから、06年と07年の2年間で人口の1割近くが転出した。 前出の本田記者も名を連ねている朝日新聞の署名記事(08年3月9日付・2面)は、「夕張 疲弊の一年」のタイトルで2月末に退職し、札幌に転出する31歳の人物を紹介している。「仲間には申し訳ないが、妻と1歳半の子どもを抱えてサービス残業続き、手取り十数万円では自分がもたない」という言葉が痛い。夕張市役所ホームページには「市長の部屋」に現市長の苦渋の言葉が並ぶ。“「年収4割カット」という財政再建団体入りした夕張市職員の厳しい処遇である。(中略)353億の負債を18年間で返済すると決めた「財政再建計画書」が憎たらしいくらい大きな顔で私の机の上に陣取っている。” (4)夕張市立総合病院が抱えてきた「夕張炭鉱病院」 『夕張市立総合病院』についての経営診断(編集部注:06年9月7日)というのも公開されている。そこでは「夕張市役所は地方公営企業を経営する自治体としての責任を果たしてこなかったと言わざるを得ない」とまで書かれ、しかも「平成15年度から医師・看護師の退職が相次ぎ、市民に対して満足な医療を提供できない状態が続き、病院の収益が急激に悪化。年3億円程度の純損失を計上。平成17年度末の一時借入金33億6000万円に達することになった」とある。 しかも、給与については「卒後年数15年を経過をした経験のある医師の給与水準が北海道内の病院に比べて約300万円低い」一方、「准看護師の給与が全国の病院に比べて年収で100万円近く高い状況(経験年数15年で年収119万円の差)」とか、コメディカルスタッフ(薬剤師、臨床検査技師、臨床放射線技師、理学・作業療法士、医療技術員、管理栄養士)では、「同じ経験年数で、全国平均に比べて年収で215万円高いケース」や事務職員でも、「全国平均に比べて年収で68万円から153万円程度高い」と指摘されている。 このことを大沼さんに聞くと、「そんなことになっていたの」と困惑気味の表情であったが、特別に怒るふうでもなかった。同席していただいていた方は、「それは、北海道炭鉱汽船(株)夕張新炭鉱が閉山した時(1982年)に、夕張炭鉱病院を夕張市が買い取って市立病院にした経緯もあると思います。炭鉱事故などでご主人を亡くした奥さんを准看護婦として採用、しかも給料はご主人の給料に準じていた、というように聞いています。そんなこともあって給与体系は、外から見れば高止まりしていたのかもしれません」と補足説明してくれた。 一種の地域共同体を必死で守ろうとする古き良き慣習でもあった、と見ることもできる。炭鉱街には「友子制度」という炭鉱に従事する人たちによる一種の互助会のような制度が、戦後の労働組合の成立前まであった。これなども地域の精神風土として、悪いことでないが、財政破綻した今となっては破綻の一要因として追及されかねない状況だ。何であれ世間には「後悔先に立たず」の実例はヤマほどあるが、事故には前触れがある。 |
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