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更新日:2008年5月8日(木)
特集

5月号:特集1 夕張が見せるべき「産炭地」復活力(上)



吉岡宏高 札幌国際大学准教授
               
 三笠の北炭幌内炭鉱で育った吉岡氏が、「炭鉱の記憶で未来を拓く」事業(NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団)代表者としての活動も含めて、炭鉱街の象徴でもある「夕張」を中心に語る。それは、明日の北海道、明日の日本を語ることになり、21世紀の地域経営の先行モデルにもなるものである。

プロフィール:よしおか ひろたか。1963年札幌市生まれ、三笠市出身。岩見沢東高、福島大学経済学部卒業後、日本甜菜製糖(株)、(株)たくぎん総合研究所を経て、1997年にまちづくりコーディネーターとして独立。2004年から現職。専門は地域マネジメント論で、道内各地のまちづくり活動やNPOにも数多く関わっている。

全体構成
上 (1)産炭地の興亡は、明日の日本の縮図
  (2)夕張は高齢社会の先行モデル
  (3)夕張が教える危機意識のもち方
  (4)地域マネジメントの基本
  (5)地域に残されている資源
  (6)「知の時代到来」が産炭地に追い風
下 (7)地域資源磨きは人との交流から
  (8)未来への投資
  (9)分散社会ゆえにチャンスあり
 (10)NPO活動の長所
 (11)石炭産業の残したものから学ぶ

(1)産炭地の興亡は、明日の日本の縮図

 夕張に限らず産炭地の場合、日本の近代化のプロセスをリードしながらこの100年の間に短時間で隆盛期を迎え、急激に衰退するという地域の興亡を私たちに見せています。
 地域が経済を含めた外部環境に左右されるのは、やむを得ないことでもありますが、それでもそこでシタタカに生き残る知恵を編み出す努力はもっとすべきではなかったか、と思います。自分たちで将来をコントロールしえないまま、自分たちの明日を描ききれずに「俺たちは犠牲者だ」と嘆いても、それに共感を覚えてくれる人たちはいないものです。自分たちの生き方の考えをもっていないと、明日への展望は本当に拓きにくいものです。それは、日本という国も同様だろうと思います。

 産炭地については、近代日本が成長する際にエネルギー面で国を支えてきた大きな財産があります。夕張を例にしますと、12万人が生活をしていた時代と現在の十分の一になった落差は、石炭産業の100年を物語る重要なファクターです。この時間軸は、この後述べます日本の今後歩む高齢社会、人口減という状況を圧縮して見せています。ですから、産炭地を活かすノウハウは、今後は国レベルのモデルになると思います。
 しかも、すでに足もとにある産業遺産を手がかりにした地域内外の交流を通じて、たくさん観光客を呼ぼうという従来型ではない新たなスタイルの観光(交流)を展開したり、住民が社会の中で生きていることを実感する仕組みを作ったりして、地域問題を経済的・社会的に解決する可能性もあります。

 少なくても産炭法(産炭地域振興臨時措置法、1961年〜2001年失効・2006年まで激変緩和措置)という枠組みで国から支出された石炭関係予算は、産炭地に往時の隆盛を取り戻すことにはなりませんでした。それは、街の振興についての政策ベクトルが違っていたのだと今になれば、理解されます。地域が崩壊寸前であった当時としては、致し方ない選択肢であったのかもしれませんが、なぜそこから脱却して地域が自ら歩んでゆくことができなかったのか。しかし、「今になれば」というのは、後講釈の話ですから、産業なり街を取り巻く社会環境の変化の兆しをいかに感じとるか、という点から話しを続けます。

 夕張の財政破綻を契機に、どの自治体でも、とにかく金をかけない方が良いという方向に舵を大きく切っています。最も厳しい状況にある夕張では、年間70億〜80億円程度の財政規模で、10億円程度を借金の返済にあてるのですが、それでも公共支出が60億円以上はあるわけです。限られたパイの中から、どのようにして少しでも未来への投資を行うのかは、大きな実験です。日本がこれから厳しくなる財政状況下で、どういう投資選択をするのか、全国の注目度はいやが上にも高くなるのです。

 1960年頃の夕張は、人口12万人の7割近くが集中して住んでいました。人口集中地区を国勢調査毎に調べると、その変化も明瞭です。ピーク時は非常にコンパクトな街でした。その後、採炭現場の深部化により新たな炭鉱が開発されて、それにつれて炭住市街地は北から南へと拡大するのですが、生産合理化もあって従来のほど鉱員は必要ないため、市街地の規模拡大に反比例して人口は減少しました。市街地の拡大によって新しく公共施設や社会基盤を用意しなければならない一方で、古い社会基盤の集約には反対が多く困難であるため手をつけずにきたことが、夕張の場合は財政悪化の大きな要因になっています。

 しかし、このような市街地の遷移は、どこでもある姿です。日本の全国各地で駅中心の開発から、周辺地区開発への流れが駅前通りをシャッター通りにしてしまい、スプロール現象を引き起こしています。夕張は、このような無秩序な市街地拡大のなれの果てであり、スプロール化の先進地でもあると言えます。その光景は、札幌などの数十年後の姿かもしれません。他人事では済ますことのできない現実だろうと思います。

(2)夕張は高齢社会の先行モデル

「孤独死」などが日常的になりかねない高齢社会では、高齢者の住み替えシステムを構築しなければなりません。孤独死を避けるために「住み替えしなければ」という掛け声は行政からも地域住民からも聞こえてきます。しかし、具体的な制度は何もなく、そのための資金的な裏付けも全くない状況ですから、公共的な政策として制度と資金を整える必要があると思います。

 札幌市だって、現在の高齢化率は17%ですが、2030年には30%を超え、2040年代には夕張と同じ40%になると予想されているので、本当に他人事ではありません。夕張は5千人少しの高齢者ですが、同じ比率を想定すると札幌では新たに40万人の高齢者が出現することになります。
 このような来るべき高齢化社会に向けて、夕張からはいくつもの教訓を得ることができます。一つは、メディカルなシステムだけでは、高齢者に充実したライフスタイルを提案することはできないのです。高齢者が社会の中で生かされるのは、メディカルと組み合わせた地域社会システムがあってこそなのです。
 高齢者を棄民扱いするのではなく、今まで生きてきたことの経験を活かす場を用意することです。そのことで外からの評価をもらったりして、高齢者が社会の中で存在感を持つシステム作りは、若い世代の役目だと思います。

 ここで合理的に高齢者の算盤勘定をしてみます。「感情」的には抵抗感をもつ人もいらっしゃるとは思いますが、高齢化はマイナス要因ばかりではありません。今、夕張では、高齢者の方々の年金収入が100億円近くになっています。夕張で最大の産業は、年金であると言えるでしょう。 夕張メロンで有名な農業だって農業粗生産額は30億円程度で、国から市への地方交付税交付金だって、年間40億円程度です。

 ですから、100億円の使い方を考えるべきなのではないでしょうか。地域に高コスト体質を残したままでは、住民の年金も十分に活かしきれない現実があるのです。時給4千円の行政職員がする仕事も、NPOで行えば時給千円の人を4人雇用できるのです。これは、日本全体が求められている変革の方向性だろうと思います。

(3)夕張が教える危機意識のもち方

 実は10年前に夕張に呼ばれて行ったことがありました。当時は、中田市長が健在で絶大な力を持っていましたが、青年たちの危機感はそれなりにありました。だからこそ、夕張を何とかしようという考えの人がいて、私は呼ばれたのだと思います。
 50〜60歳でも「洟ったれ小僧」扱いされるような地域性もあって、20〜30歳では何を言っても相手にされない空気はありましたから、彼らの気持ちは理解できました。
 第一、10年前からすでに財政再建団体になる高い可能性をもっていましたし、「もし、明日、そうなったら皆さんはどうしますか?」と私は問うつもりでした。「今は何とかやっているから何とかなるだろう」というのは、1970年代の国の石炭政策に頼っていた時と変わらない依存体質です。「今日の出炭だけを確保すればいい」では、明日への見通しも立ちません。

 しかし、講演会場に行ってみると宴会のような場で、私の話は十分に伝わらなかったと思い、後日、私見をペーパーにして送りました。みなさん、状況についての危機感はあっても切迫感はなく比較的のんびりしたものだったと記憶しています。
 「アイツとは一緒にやれない」とか言うレベルの感情的なもつれも見えました。自分たちの住む地域が、火事を起こしているような状況で、消すのはアイツだ、オレの仕事じゃない、と言い張っているようなものでした。

 このケースは、どこの地域に言っても、どこの組織でもよくありますが、内部にいるとそのあたりのことが見えなくなってしまうものです。そのことも指摘しながら、地域を取り巻く環境の大きな変化を伝えながら地域住民に今日と明日をつなぐ方策について理解してもらうことが、私たち、外部の者の役目だろうと思っていました。私自身も炭鉱出身で地域振興の困難さは理解できましたし、母の出身地なので気になっていたので、その後もかかわりを深めていきました。

(4)地域マネジメントの基本

 それらは地域マネジメントの仕事になります。この仕事は、最悪の状況を想定したシミュレーション論議も大事な要素の一つです。漠然と危機予測していても、それを乗り切るプログラムを用意しなければ「破産」という現実の場面では、ショック状態で身動きが取れないものです。
 これは、「明日はどうなるか分からない」という災害がつきものの炭鉱で育った者の身に付いた教訓です。ですから、プランA、プランB、プランCといくつかの想定に基づいた地域経営を考えることは、地域の生き残りをかけた戦略として不可欠です。

 私の父親は樺太出身で、ある日を境に国が変わることを経験していますし、私は炭鉱である日を境に町が崩壊していく様を見てきていますから、国も町も会社も消えることがある、という現実から物事を判断する傾向が他の人よりも強いかもしれません。
 ですから「いつか、マズイことになるかもしれない」という備えは、常にするようにしています。個人的には海外旅行などに行く時も、万が一に備えた対応策を家族に伝えておきます。言霊の国の住民である家族は、現実化したらどうするの! と余りいい顔をしませんけれど。
 
 北海道では、老舗の建設業が消え、老舗の流通業が消え、老舗の銀行が消える事態を身近に見てきているのですから、もっと経験に学ぶべきだと思います。そして、夕張です。会社経営では、売り上げが半減したようなショックから立ち直ることは珍しくありません。
 逆に売り上げが少しずつ前年比で減少するケースの時には、立ち直る契機を見つけ出せないで終焉を迎えることも多いのです。産炭地に対する国家保護が、この後者の道を選ばせていたということができそうです。

 ですから、地域でも会社でも再生させるためには、過去をヤミクモに否定して消去するのではなく、今までの行きがかりを見直すことも含めて、冷静に在庫整理をすることが必要だろうと思います。すると、産炭地には、少なからず宝の山があるのです。次にお話をします。

(5)地域に残されている資源

 私たちがNPOを設立して夕張も含めた「産炭地」の活性化に向けて、活動している背景と見通しをお話します。
 私は研究領域である観光学からも時代の価値観が大きく変わり始めていることを感じています。この変化が産炭地の再生チャンスでもあると見ているのは、次のような事実からです。先日もドイツの産業遺跡を観光資源にしている現地に行ってきました。ヨーロッパでは、こうした所を訪ね歩く観光ルートがあり、かなり知的水準の高い観光客を愉しませているのです。この旅行は、その地を訪れる観光客の人たちが、訪問先の産業歴史を知っていることがベースになります。風光明媚な自然を愛でる、あるいは絶景に感嘆するというよりも「見えない歴史の層」に思いをめぐらすことに価値を見出す旅です。

 日本に限りませんが、古城を訪ね歩くツアーを考えてみて下さい。古城で繰り広げられた戦いや、そこに登場する歴史上の人物、往時の美術品、産業などから過去と繋がる今の自分をそこに発見するひと時は、未来に繋がる自分を想像することになります。産業遺跡も古城も同じ人間の営みを感じさせる場になります。私たちのよく使う言葉、「振り向けば未来」はその意味なのです。
 そうした観光業の新しい動きがあるのに北海道の空知に広がる石炭産業の遺跡を「暗いイメージ」の象徴のようにして扱うのは、何とも残念な話です。以前は、「暗いイメージ」からの脱却を志向して異国風のテーマパークを建設した産炭地も少なくありませんでしたが、それは自分たちのアイデンティティを消すものです。そこからは、郷土への自信も生まれませんし、エネルギーも湧きません。

 そうした方向性に疑問が出されてきたのは、この10年です。空知支庁が炭鉱遺産を活かす政策を採り始めました。それが2001年の北海道遺産選定につながり、2003年の国際会議(国際鉱山ヒストリー会議)開催と発展しました。つまり、目に見えない文化遺産としての炭鉱に気づきだしたのです。そこから、観光も産業遺跡に焦点をあわせた新しいジャンルが開発されてきました。
 その点で、中田市長時代の観光化路線は、20世紀の価値観に基づいていたように思います。石炭博物館をつくるというような、今日の手かがりになる貴重な取り組みをしてくれたことは評価できます。しかし根底にあったのは、夕張の歴史を十分に活かすものではなく、地域との関連性を感じさせない施設も見られましたから、方向性において行き詰まりを引き寄せるものだったと言えます。6期務めた市長を検証するならば、評価の高かった初期の行政手腕にしても、スタート時の理念も20世紀型の残滓が色濃いものだったのです。
 つまり、石炭産業は「くらい」「きたない」「きけん」の典型例であり、それを払拭するのが、観光業だという捉え方も、国は石炭政策の責任があるのだから支援は当然だという補助金依存体質も、観光産業を後向きの発想で捉えていたことになります。ホテルにしても石炭歴史村にしても、パラダイムが過去の焼き直しだったことが、時間の経過とともに時代とのズレを大きくしていったように思います。

(6)「知の時代到来」が産炭地に追い風 

 昔、アルビン・トフラー(1928年〜)という未来学者が『第3の波』(1980年)を著してベストセラーになりました。工業社会から知識社会への移行を唱えたものです。大学入学直後に読んだ私の受け止め方は「そうかなあ」という程度でしたが、その後、私も製造会社勤務、シンクタンク勤務などを経て、社会の趨勢が知識社会に向かっていることを実感するようになりました。
 
 私の世代ですと、モノがどんどん増えて、それが幸福感にもなっていった時代でした。20世紀の産業社会は、工業社会を謳歌するように、大量生産・大量流通・大量消費を最も価値あるものとしてきました。ところが、今はどうでしょう。もっと違う価値観の社会が拓かれてきています。モノが社会にいきわたってしまい、特別に買いたい品物がたくさんある時代ではなくなりました。皆が同じものを求める時代ではありませんし、その分、形の見えないものに価値を見出すようになってきています。この変化に着目したいのです。

 ここでの価値は、「知る」ということの意味です。例えば、私の育った三笠には、1879年の官営幌内炭鉱の開坑、北海道鉄道発祥の地、日本で3番目の全通した鉄道(手宮〜幌内間・1882年)の史実は、歴史年表に出てくるほどのものです。これなども「知る」楽しみの一つです。
 産業歴史の中で北海道の炭鉱が占めるウエイトは大きなものがあります。三笠の炭鉱がなかったら、小樽に通じる鉄道は今日のようなものになっていなかったでしょうし、そうしたら札幌は今のような中心地でもなかったかもしれません。このように三笠から紐解く北海道の開拓の歴史は、炭鉱という場に大きな磁場が眠っています。

 しかも、その磁場から発する情報力は、平成になって特に強いものになっています。社会にインターネットが普及し、交通網が発展して、昔なら海外に行くのは一生に一回だった時代から、個人で海外にピンポイントで何度でも動くことができるようになりました。外国まで製鉄所跡の公園を訪ねる個人が珍しくない時代です。このこと自体が、従来の観光産業が姿を変えてきていると思う由縁です。
 ですから、産炭地に残されている産業遺産は観光資源としても再評価して磨けば、十分に価値を高めるでしょうし、私が力を入れるのも根拠のないことではないのです。









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