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更新日:2008年3月18日(火)
特集

4月号:特集3 日本の「水」の価値観を世界に発信中(上)



図1 気候の分布
野田 岳仁 NPO法人 Waterscape代表

1981年生まれの青年が、世界に向けて「日本の水環境」について提案をし続けて10年近くが経過する。その活動の基盤になっているのは、「水」をめぐる日本の知恵を世界に伝える意志だ。

全体構成
上 (1)はじめに
  (2)地球上の水問題の実像 ー水の偏在化が引き起こす問題ー
  (3)水をめぐる国際的論争 ー 公共財vs, 経済財 ー
  (4)日本の公共空間としての水辺の変化
  (5)世界最大級の水消費大国ニッポン
  (6)日本の伝統的水利用の知恵や工夫に学ぶ
  (7)柔軟かつ重層的な日本の伝統的水資源管理の可能性

下 (8)公共財としての水資源マネジメントの提言
  (9)水は公共財であるという国際的コンセンサス「国連水憲章」を採択する
 (10)水を人権及び公共財と法律により位置づけ、遵守する枠組みを確立する
 (11)各地域において、地域特有の伝統的な水秩序と価値観を掘り起こす
 (12)おわりに



図2 利用可能な水の量
図3 水使用量


(1)はじめに

 「地球は青かった」。1961年人類で初めて大気圏を飛び出した旧ソ連のガガーリン宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めつぶやいた言葉である。
 地球は「水の惑星」と呼ばれるように地球の表面積の70%を海洋に覆われている。地球上に存在する水の97.5%は海水であり、残りの2.5%のほとんどが、氷河や雪氷、地中の奥深くにある地下水である。そのため、私たちが直接利用できる水は川や湖の水の0.007%にすぎない。筆者は全国の子どもたちと世界の水問題を考えるワークショップで、1リットルのメスシリンダーを地球全体の水と喩え、私たちが利用できる水の量は、スポイト一滴にも満たないことを実感してもらっている。

 一方、地球上の生き物は、水の恩恵を受け、生態系をつくり、生命を育んできた。私たち人類も、古来より地域社会において、水の恩恵を生かした多様で豊かな食や文化、産業、風景を維持し、その恩恵を上手く取り入れた独特の生活様式を生み出してきた。こうした地球上のすべての生命にとって必要不可欠な水が、今、さまざまな危機に直面している。

(2)地球上の水問題の実像ー水の偏在化が引き起こす問題ー

 国連開発計画(UNDP)「人間開発報告書(2006年度版)」によれば、全世界で11億人の人々が安全な水を手にすることが出来ず、26億人が基本的な衛生設備を欠いた環境での暮らしを余儀なくされている。加えて、2025年には、世界人口の半分が水不足に直面するとの指摘があるように、世界の水問題は、より複雑化し、水の偏在がより顕著になっている。3枚の水の世界地図は、青色を水の豊富さ、赤色を水の少なさに関連づけて配色している。
 図1(気候分布)を見ると、世界の陸地面積の3分の1を占める乾燥−半乾燥地帯(アフリカ北部、アフリカ南部、中近東、西アジア、中国西部など)が水不足の地域と一致している。乾燥地帯のダム適地のほとんどは開発され、河川の流量も減少し、水質も悪化しつつある。湿潤地帯の多くの地域でも季節的な変動があり、水を安定的に利用できる地域は限られている。
 図2(利用可能な水の量)によれば、図1で乾燥地帯であった地域は、その量も少なくなっている。日本は、世界平均の6分の1の量で、世界的に見れば、それほど水資源が豊かではない。一方で、アフリカの中部、西部では、比較的利用可能な水が存在していることを表している。
 図3(水使用量)では、図2で比較的水資源量が豊富なアフリカの中部及び西部の45カ国の国では、50リットル以下の水使用量となり、水資源量が少ないアフリカ北部から中近東の水使用量が100リットルを超え、300リットルに迫る国もある。日本は世界平均165リットルの2倍を越え、主要先進国でも第4位の最高水準である。

 図2と図3を比較すると、水資源量が豊富でありながらも実際の使用量は少なく、資源量が少ないながらも実際の使用量は多い、という逆転の構図が浮かび上がってくる。水資源管理における実像である。
すなわち、前者は、水資源がありながらも、実際の水利用に結びつけることができず、後者は、水路や堰、さらにはダム開発など、水のインフラが整備され、水資源をうまく管理し、利用することができていると言えるだろう。
 つまり、水不足の根本的な原因のほとんどは、必ずしも水資源の絶対量がないのではなく、水資源管理における社会的、制度的、あるいは、政治的な問題なのである。水不足は、水の分配を市場原理に任せ、一部の人々や企業などの過剰な水の利用を促した公共政策の産物と言える国は少なくない。20世紀には量と質の問題と言われた水問題は、21世紀に入りマネジメントの問題へと領域を広げている。

(3)水をめぐる国際的論争ー公共財vs 経済財 ー
 
 国際社会では、1970年代から水問題を重要な政策課題と位置づけるべきとの認識が生まれ、議論が始まった。1977年に国連主催の初めての水会議「国連水会議」(UN conference on Water)がアルゼンチンのマル・デル・プラタで開催され、水は「公共財」であり、水への権利を人権とする「マル・デル・プラタ宣言(行動計画)」が採択され、水は基本的人権であり、「公共財」であるとの明確な認識が広まっていった。
 一方、1992年にアイルランドのダブリンで開催された「水と環境に関する国際会議(以下、ダブリン会議)」(International Conference on Water and the Environment)では、宣言文とともに、水資源管理の改善に必要な以下の4つの原則(“ダブリン原則”と呼ばれる)が打ち出された。
 ダブリン原則では、水資源の「有限性」と水資源管理における「参加型アプローチ」と「女性の役割」、水は「経済財」との考え方が初めて示された。この原則は、水は「公共財」であるとのマル・デル・プラタ宣言の考え方を覆し、水が「経済財」であることを明確にした。

 水をめぐる国際的論争は、ダブリン原則以降、水を「経済財」と捉えることが議論の主流になっている。さらに、水に関する世界最大級の国際会議「世界水フォーラム」という水問題解決に向けた具体的なひとつの「仕組み」がつくられ、水を「経済財」として捉え、市場経済の枠組みの中で議論を促していくよう世界的なビジョンが示された。同時に、世界的な水関連ビジネスをリードし、上水道事業を推進する欧州の超国家的水企業は、水は「経済財」であり、商品であるとの意識転換を迫り、水問題の解決策を指し示す形として国際的な議論に戦略的に参画している。

 しかしながら、NGOや市民社会、途上国政府において、一部の先進国や国際機関および超国家的水企業が進める動きには懐疑的な見方が少なくない。本来、水は「公共財」であり、基本的な人権として、世界中の全ての人々へ公平で平等に分配されるべきであり、一部の人々の利益を助長するものであってはならない。欧州的な価値観を押しつけ、画一的な手法で水をコントロールする手法は、決して受け入れられるものではない。
 総じて、国際的論争には、水を基本的な人権の「公共財」と捉える考え方と、水は「経済財」として捉える考え方が存在し、対立構造にある。こうした構造的対立が水問題の解決を遅らせる大きな原因にもなっている。

※「世界水フォーラム」とは、1997年以降、3年に1度、世界各地で開催されている国際会議。第3回世界水フォーラムは、2003年琵琶湖・淀川流域の京都・大阪・滋賀を会場に、183の国や地域から24,000人の参加を集め351の公式分科会が開催された。
※ 水関連ビジネスとは、ペットボトル容器にはいったミネラルウォーターなどの飲料水販売を事業はじめ、上水道、水処理(中水)、水浄化事業、海水淡水化事業、水関連ファンドであり、実に多様化している。

(4)日本の公共空間としての水辺の変化

 アジア・モンスーン気候にある日本は、豊かな森林に被われ世界平均の2倍の降水量にも恵まれ、豊かな水風景をつくってきた。一方で、7割が山地の島国であるため河川は短く急流で、雨が降れば洪水被害に苦しみ、雨が降らなければ水不足を招き、苦労しながらも、水と上手く付き合う独特の知恵や工夫を生み出してきた。
 日本においても近代化に伴い、各地で工場排水や農業廃水、さらには家庭排水が河川や湖の水を汚染し、生態系への影響も深刻化した。その社会的な対策として汚水が流れる排水路には蓋がされ、身近な生態系の宝庫であった農業用水路もコンクリート化が進み、都市部における川は地下に閉じこめられた。やがて水辺に生息する生き物が姿を消し、川は危険であるから遊ばないようにと家庭や学校から遠ざける教育がなされ、川で遊ぶ子どもたちの姿も消え去った。

 人の姿が見えなくなった川には、洪水対策として高い堤防がつくられ、山間には増大する水需要に備えた多目的ダムが建設され、紆余曲折した本来の川の姿は薄れ、人工的な川へと姿を変えた。生活習慣の一環として川の清掃を行っていた川岸に住む住民たちの愛着は次第に薄れていき、水辺にはゴミが溜まるようになった。やがて川は、住民の手を離れ、河川管理を担う行政官僚や河川工学者、土木関係者に支配される閉じた公共空間と化していった。

(5)世界最大級の水消費大国ニッポン

 経済成長による豊かさは、私たちの生活の質を向上させ、水をより消費するライフスタイルへと変化させた。日本人1人1日あたりの水使用量は320〜375リットルで、50年前の約2倍に増加している。主な要因としては、上下水道、水洗トイレやシャワーの普及や利用によるが、水を貴重な資源と捉え培ってきたかつての生活様式が影を潜め、水への意識が次第に薄れ、水に対する価値観が変化したことも目に見えない大きな要因であろう。
 一方、日本の食糧自給率(カロリーベース)は、8割あった50年前の半分の4割まで低下し、飼料を含めた穀物自給率は3割未満で主要先進国でも最低水準に甘んじている。すなわち、日本人は6割を海外で生産された食べものを消費し、間接的に海外の水を消費していることになる。

 これはヴァーチャル・ウォーター(仮想水)と呼ばれ、その量は年間約640億立方メートルにおよび、国内の水総使用量の7割を占める農業用水の総水資源使用量約533億立方メートルを超える。1人1日あたりに換算すると1,460リットル。つまり、私たちは、毎日、少なくとも食べものを通して世界の水を1,460リットル消費し、日本の水を375リットル使用していることになる。これには、国内で生産された食べものに使用された水は含まれていないが、日本人1人1日、少なくとも地球上の水を約2,000リットル消費していることになるのだ。さらに言えば、水を使うことは、汚すことであり、毎日約2,000リットルの水を汚している現実がある。

 また、日本に輸入されている食べものの多くは日本よりも水資源が豊富ではない地域、または、今後水不足が深刻化すると予想される地域である。肉類や穀物類は、アメリカやオーストラリアから輸入され、野菜のほとんどは中国やタイなどアジア地域から輸入されている。アメリカやオーストラリアでは、干ばつが頻繁に発生し、穀倉地帯の地下水の枯渇が深刻化し、水資源の豊富ではないアジア地域では、人口増加に伴う食料需要の増加でさらなる水不足は深刻化するとの予測がある。見えない地域での食料生産にはリスクが伴い、安全性や将来の安定供給に対する保障はない。食の安全保障は、水の安全保障でもある。青い地球の水危機は、私たちの食卓の危機でもあるのだ。

(6)日本の伝統的水利用の知恵や工夫に学ぶ 

 これらの水問題を解決するために、どのような水政策をつくっていくべきなのだろうか。国内外の水辺を歩きながら、現場から見えてきた光がある。労を厭わず水を大切に守ってきた日本独特の伝統的な水秩序に基づく水資源管理とそうした水への価値観である。

 今から50年前の昭和30年代から40年代頃に培われた知恵や工夫に溢れた日本の伝統的な水利用が残り、今も人々の生活に息づいている地域がある。岐阜県の郡上八幡や琵琶湖周辺の集落をはじめとして湧き水が豊富な地域には数多く存在している。川から水を汲みやすくするための足場となるふみ石、雨や風を防ぐための小屋(カバタ、カワドと呼ばれる)、谷水を汲みやすく水をためておく大きな桶、高さを生かし3つの桶を連ねて上から飲料水、野菜を洗う水、皿を洗う水に用途を決めて利用する水船、水を一時的に貯めるための堰板、北タイの農村地域でも田畑に水を引くためにコンクリート堰ではなく川の中に大きな岩をいくつか並べ、岩と岩の間に草木を詰めてつくりあげる手作りの堰など、長い年月とともに培われてきた水利用の知恵や工夫がある。

 上水道が導入され始めた頃、各地には、川、谷水、用水、湧き水、井戸、水道の水が存在し、水源が多重化していた。そして、家庭や地域社会で用途に応じて水を使い分ける水利用が存在し、水源には「水には神様がいる」と水神様が祀られ、地域で大切にされてきた。これらの水源は公共空間として水利用者の間での社会規範が存在し、水を汚さないことはもちろん、水を使いすぎることを防ぐ相互規制があった。水源を汚すことは、自分たちの生活を破壊することにつながるため、水を使う行為には厳しいルールと使用量を監視する水の番人(水番)の目があった。そして、当番制で水源を掃除することも水を利用する人の役割であった。

 こうした水への価値観に学び、かつての水利用の知恵や工夫を掘り起こし、現代生活に応用することはできないだろうか。身近な川や用水、井戸を手入れし、身近な水源として地域の人々が参画し自主管理する社会的な「仕組み」を取り戻したい。手入れをすることで自然や生き物が戻ってくると、水辺は子どもたちの遊び場になる。
 また、個人でつくれる自主水源として、雨水を貯めることも有効である。雨水を排除したばかりに洪水に弱い都市をつくってきた。雨水を貯めることは治水対策にもなり、家庭菜園への水やりに利用するなど、利用の過程でできるだけ地下に戻すことで、地下水の涵養にもつながっていく。水源の多重化は災害時のライフラインとしての水となる。震災時に一番必要とされる水は飲料水の水ではなく、排泄物を流す水や体を拭く二次的利用の水であった。さらに、地域の水源は地域の人と人の顔が見えるコミュニケーションの場としても活用できる。井戸端会議の復活は地域社会のつながりを強固なものにしてくれるはずである。

 川や水辺の管理は行政だけが担うのではない。川や水辺は「みんなの宝物」である。地域の自治会や町内会、水防団や水利組合などの伝統的な組織に加え、新たにNPOなどが参画することで、水辺は、水への価値観を次世代に伝承し、水への意識を取り戻す「公共性」の再構築の社会実験の場となる。

(7)柔軟かつ重層的な日本の伝統的水資源管理の可能性

 日本は水が豊かであると考えられているが、季節による降水量の偏りがあった。そのため、雨の水を有効利用するために川から水路を引き、溜池をつくり、山に植林をするなど、可能な限り水を貯める工夫をしてきた。また、稲作農業を営む農村地域では水は不足に陥ることも多く、水不足に対処するために“むら”社会を形成してきた。

 “むら”社会とは、水利を核とした共同社会であり、水をみんなの「公共財」と捉え、共同で獲得し、配分、管理する組織であった。琵琶湖周辺における水田では、琵琶湖が増水すると水が溢れ、個人所有の水田に魚が入ると水田は共同の漁場に変わり、全員で魚を捕り、全員に分配していた。日本には、個人の水田が集落の漁場にも変化する柔軟な所有観が存在し、利用を重視し、資源の性質にあわせて所有形態を分類する重層的な資源管理がされてきた。

 水は国土や自然の一部であり、豊かなで多様な精神的・文化的な産物を育んできた。現在、欧州を始めとして世界で、日本の歴史文化の中で培われたこうした実践的な所有観や利用観が評価されはじめている。水を「公共財」と捉え、それぞれの地域の水資源の利用の用途や需要に合わせ、管理形態を変えていくような柔軟かつ重層的な伝統的な水資源管理の価値観は、日本と近いアジア・モンスーン地域をはじめとして世界のそれぞれの地域性にあわせ柔軟に応用させることができるはずだ。こうした価値観を世界に向け発信することは、世界の水問題解決における日本のリーダーシップを確立する格好の機会となるはずである。




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