更新日:2008年3月17日(月)
特集
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◆当会研究員がご縁をいただいている方にお話を聞く随時シリーズ「その壱」。 今回は、北海道の環境問題について関心の高い当会の若手(齋藤雄介)が、いろいろと教えを受けている荒関岩雄さんに環境関係の活動をする根本の理念などについて話をお聞きした。文責は、「しゃりばり」編集室。 全体構成 (1) はじめに (2) 水を汲む時代と川の汚れの関係 (3) 「マネジメント・プラン」の重要性 (4) 「自然を呼び戻す」 (5) 生きとし生けるものは皆等しく同じ世界にある (6) 「カミネッコン」による植樹は世界へ (1) はじめに はじめに「荒関岩雄」さんについて。1949年、函館生まれで技術士。恵庭市役所に勤務して企画財政部地域振興室長などを歴任後、現在は「財団法人 石狩川振興財団振興部長」。このほかに「NPO法人水環境北海道専務理事」「北の道普請を育てる会副会長」などを務めていらっしゃる。 その活動は荒関さんの名前でインターネット検索すれば、たちどころにいろいろな場面に登場する。行動範囲の広さとそれを支えるエネルギー量は相当に高いレベルにあることを想像させる。ここでは、それらの過去の実績を織り交ぜながら、荒関さんの行動の“根っこ”にある考えを語っていただいた。 (2)水を汲む時代と川の汚れの関係 ◆最初に「水」関係のお仕事に就くようになった助走段階について教えて下さい。 日本が公害問題にぶつかっていた昭和40年代後半、横浜にある大学で土木を学びながらサークル活動で衛生工学研究会に所属していました。 函館生まれですが道内数箇所で生活をしていて苫小牧工業高校を出て、一度、恵庭市役所に勤めました。そこで仕事を通して科学技術の日進月歩ぶりに、基礎学力をつけておかなければ経験知だけでは時代変化に対応できないと思い、大学に進学しました。 社会人生活を経ての大学生ですから目標は明確でした。サークル活動に熱心だったのも必然的なものです。大学卒業後、就職の選択肢はいくつかありましたが、再び恵庭市の技術職の職員となって戻ってきました。建設部での仕事を中心に行っていましたが、中でも河川に深く関わるようになっていったのです。 日本全体でも北海道でも同じですが、経済が高度成長時代に突入し始めた頃はまだ、水を汲む生活を記憶していましたから、当時の人々は現代社会の快適さを感謝しながら味わっていたと思います。「水」の直接的な価値、つまり上下水道の普及は、社会を清潔なものにしていきました。 しかし、便利さ、快適性の影も次第に市民生活の中で明らかになってきたのです。その原因には、本来「水」の周辺にあるコミュニティや景観などの機能についての関心が低くなってしまったことにあると思います。結果、水質環境が劣化していったのです。つまり川が汚れだし始めたのです。井戸で水を汲んでいる当時は、川のことも良く見えていましたから、皆が汚さないようにしていたものです。 この社会基盤の整備と人々の意識の変化を学生時代から矛盾として見ていたこともあって、昭和61年(1986)に恵庭市のまちづくり大綱「水と緑のやすらぎプラン」策定に自分の立場を明確にして関わりました。 (3)「マネジメント・プラン」の重要性 ◆その仕事の関わり方というのは、どのような新しい視点にたったものだったのでしょうか? 行政の事業の進め方としては、「パイロット・プラン」「マスター・プラン」「ドゥ・プラン」のステップを踏むのですが、「マスター・プラン」と「ドゥ・プラン」の間に「マネジメント・プラン」が不可欠なのです。 この部分が明確でないため事業推進に混乱がきたしたり、いろいろな弊害が出てきたりします。私はこのマネジメント・プランの部分を自分の役割と考えて「水と緑のやすらぎプラン」に基づく茂漁川の自然再生を河川管理者である北海道に提唱し、同時にマネジメントも行ってきました。 これは建設省(当時)河川局が創設した「ふるさとの川モデル事業」と基本的な考え方が同じで、平成元年度(1989)にモデル指定を受けて、9年後に整備工事が完成しました。その後、さらに約10年の時間を積み重ねることで、2006年の「土木学会デザイン賞」の優秀賞を受賞しました。 このことは茂漁(もいざり)川を舞台に住民参加型の自然豊かな川づくりに発展した結果であり、水生動物の棲息環境にも配慮していることなどから、成果はカワセミの飛来にも現われたりしています。何よりも嬉しいことは、川辺に子どもたちの歓声が戻ってきたことでした。 選考評価のお二人のコメント(部分)は、次のようなものです。 ――かつてコンクリート護岸で覆われた狭いどこにでもある川がふるさとの川モデル事業でよみがえった。周辺の公園と一体化させ川を広げた。茂漁川の一連区間を歩くと、川幅を広くした所と広くできなかったところの空間の質の差は明瞭である。広いところほど変化に富む美しい空間に仕上がっている(島谷)。人工のものには違いないのだが、周辺の住宅地に暮らす人々にとっては十分に『自然』の感じられる空間となっている(樋口)――。 この事業は、景観が育つまでには10年以上の歳月を必要とすることを実感する一例です。川幅の広いところは、多自然型河川のように見えますが、河床はコンクリートです。護岸は玉石と芝を組み合わせた石羽口(いしはぐち)工というものですが、10年もすると草木が茂ってそれも見えなくなっています。見えないところで当時の最新の工法が生きている、と言えます。息の長い取り組みがあってこそ、地域に溶け込んだ美しい景観に育つ実例です。 その根底には、自然の回復力を引き出すための「空間」を確保するという理念です。それは、長い時間軸で自然に接することを意味しますが、これが昨今の駆け足的な思考が優先され、表面的な事象に振り回される現代人には、理解しにくい側面でもあります。 (4)「自然を呼び戻す」 ◆水の環境問題では「千歳川放水路」の問題にも関わったのではありませんか。 そうです。千歳川流域というのは、もともとが低平地ですから、洪水に見舞われやすい自然条件にあったのです。それを解決するには放水路が不可欠でした。水は高いところから低いところに流れるのは、自然の道理です。 しかし、河川をめぐっての公共事業は、工事によって受益を実感できる地域の人たちと、反対に「苦」を受けることになる地域の人たちが出現することが避けられない面もあります。千歳川でいえば、20年以上昔の話になりますが、洪水被害を受けてきていた千歳市・恵庭市・江別市・広島町(現在の北広島市)・長沼町・南幌町などは、放水路については歓迎でした。が、早来町は酪農地帯を分断することから違う反応でした。苫小牧市なども複雑な反応でした。 当時も行政は住民説明などをしっかりしていたと思いますが、公共事業の必要性について市民に対する説明は、今でもあまり上手とは言えない部分が残っているかもしれません。 恵庭市はこの点で自信をもって市民との対話を積み重ねてきたということができます。恵庭市の建設部の役割として市民との窓口になってきたことは、自画自賛になるかもしれませんが、良かったと思っています。 「自然を呼び戻す」というスケールの大きな考えをより多くの方々に理解してもらうための情報の出し方は、今後も大事なものだと思っています。そんな経験を積んできていますので、私は産・学・官の信頼関係を築くためには、お互いに立場を理解しながら、物事の本質を見失わないように世の中をよくすること、美しい川を育てる活動を続けてきたつもりです。 (5)生きとし生けるものは皆等しく同じ世界にある ◆より具体的には、最近のことを含めてどのような活動をされてきたのですか? 石狩川については、昨年の「第九回石狩川流域交流フェスタ(2007)」などで協力して貰っています。これは石狩川下覧櫂(くだらんかい)、夕張川なんでも探検隊などにも協力を戴き、多くの方々に川に親しんでもらうイベントです。 個人的には、「NPO法人鵡川(むかわ)・沙流川(さるかわ)交流会」、「柏木川プロジェクト」(恵庭市)、「NPO法人しりべつリバーネット」の顧問もしています。こうしたところには、ゴムボートとかライフジャケットの無償貸し出しなどを行っていますが、最近はこのような自然体験が教育上の効果も高いことが分かってきて、活動も活発になってきています。 特に子どもたちに対しては、川への接するノウハウを教える以上に日常生活での挨拶のこと、食事のこと、親のこと、友だちのことなど、集団生活あるいは社会生活を営む上でもっとも基本になることを伝えています。 個人的には、その基本に仏教の教えがあると思っています。つまり、自然を大事にする私たちの伝統、あるいは日本の道徳観は、仏教の「四諦・八正道」(したい・はっしょうどう)に語りつくされているように思います。エッセンスを分かりやすく表現すれば、「ウソをつかない」「誠実であること」に尽きますし、そのように生きることで最後は自分を苦しめるようなことをしなくてすむはずです。 (編集部注:四諦=苦諦「くたい」、集諦「しったい」、滅諦「めったい」、道諦「どうたい」。八正道=正見、正思、正語、正行、正命、正精進、正念、正定) 「生きとし生けるもの等しく同じ世界にある」というのが、私たちが生命あるものへの接し方の根源にあるのではないでしょうか?すべての命は輪になって繋がっている考えですが、人間が生物界の頂点にあるようなピラミッド型の自然観からみえてくるのは「自然保護」という概念です。 自然を保護するという考え方を否定するわけではありませんが、私たちは一抹の食料を得るにしても自然との関りをなくして得ることはできません。これに照らせば、自然に保護されているのが人間であると言えると思います。 ですから自然を押さえ込むような、あるいは自然を乱暴に扱うような振る舞いは、昔の日本人ならしなかったのでは? と思います。 北海道は明治期に導入したアメリカ流の開拓思想が、日本古来の自然観を捨て去ることを推進したかもしれません。私の長年の経験から言えるのは、自然が失われると、それに包まれている人間もダメになるということです。 最近はそうした便利さの追求の弊害を指摘する人も増えてきておりますけれど、もっと日本人としての自然観を見直したいと思っています。自然は失ってからでは取り戻すのが大変です。あるいは、取り戻せないかもしれないのです。 (6)「カミネッコン」による植樹は世界へ ◆それは、川の守る活動にも言えることのように思いますが、荒関さんは川だけではなく「植樹」活動もされているのですね。 7年前(2000年)ですが、「NPO法人水環境北海道」の国際環境貢献の事業として、1999年のサハリンでの植樹実験に続いて、モンゴルでも行ってきました。 その報告も書いておりますが、「カミネッコン」(紙製の植樹ポット)の開発者である東三郎先生(北海道大学名誉教授)ともども、われわれの法人と「北国の森づくりサークル」のメンバー23名で現地に赴きました。 かの国では、年間に数千ヘクタールが砂漠化していること、乾燥地帯で植樹もうまくいかない実情などから、「穴を掘らないで置くだけ」で「大気中の少ない水分を根に固定しやすい」紙ポット植樹が期待されたわけです。 植樹実験では現地の人たちも参加して、約80本を植えてきました。そのほかにも植生調査なども行ってきましたが、その後、木は順調に育っているという報告ももらっています。 また、モンゴルについて言えば、シベリアに抑留された日本人が、1万4千人ほどこのモンゴルに移されて労働を課せられた史実もあります。そのうち、1千6百名の日本兵が葬られている日本人墓地の墓参にも行ってきましたが、そこにあった枯れた桜の幼木を見て、私たちが緑化をしなければ、という思いに駆り立てられました。 川も大地も豊かであることと、その自然に接して生活する私たちの心の豊かさは、極めて相関関係が高いように思います。 自然への感謝の気持ちも、食をめぐる生産者への感謝の気持ちも、人と自然が支えあっていることを今一度、確かめることから生まれてくると考えています。子どもたちを相手に「川を学ぶ」ということで講演などもさせてもらっていますが、将来の大人たちに今から豊かな自然観を身につけてもらいたいと思っています。 |
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