更新日:2008年2月18日(月)
特集
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プロフィール:たきもと せいき。1969年岡山県生まれ。武術師範の父のもとで「武」を探求し、95年奈良教育大学卒後、99年同大学院修了。05年日本体育大学大学院博士後期課程修了(体育科学博士)。 全体構成 (上)1.「新しい」スポーツ、フットサル 2.身体的アート 3.スポーツの世界化 4.ニュースポーツの意義 (下)5.武芸のひらく可能性 6.新しいスポーツ文化を発信するために 1.「新しい」スポーツ、フットサル 平成20年2月3日(日)、日本フットサルリーグ初代王者の栄冠に「名古屋オーシャンズ」が輝いた。日本フットサルリーグ(以下、Fリーグ)は、財団法人日本サッカー協会と日本フットサル連盟の共同主催で、昨年9月23日に開幕した新しいスポーツリーグである。 参加8チームのなかで名古屋オーシャンズは唯一のプロ・チームであり、12連勝を含む16勝2敗1分という圧倒的な強さをみせ、2試合を残してのリーグ優勝を決めた。 フットサルとは、基本的に屋内で行われるサッカー似のスポーツで、主に南米ではサロンフットボール、欧米ではインドアサッカーと呼ばれルールやスタイルは国・地域ごとに多様であったが、1994年に国際フットボール連盟(FIFA)が世界共通ルールを制定し統合されたスポーツである。フットサルのワールドカップ(世界選手権)は1989年から催され、今年(2008年)は第6回大会がブラジルにて開催される。 フットサルの日本への伝播は、1973年に札幌大学で行われたサロンフットボールからといわれる。柴田勗教諭(現・札幌大学名誉教授)が、当時二人のブラジル人留学生とともに、ブラジルのサロンフットボール(Futebol de Salao)の技術や戦術を札幌大学サッカー部のみならず北海道サッカー界に披露し、伝播した。 このサロンフットボールは、またたく間に積雪寒冷地の冬季室内サッカー訓練に役立つ室内型競技としての形態を整えていく(柴田勗著、『ブラジルサッカー総覧』、河出書房新社)。 その後、柴田は北海道だけでなく、本州へもサロンフットボールを普及させた。それから35年が過ぎてのFリーグである。ちなみに、その留学生の一人であるアデマール・ペレイラ・マリーニョ氏は、日本サッカー界でも輝かしい経歴を残しているが、その傍らサロンフットボール(フットサル)の普及にも力を注ぎ、1999年と2000年にはフットサル日本代表監督も務めている。 2.身体的アート ここで柴田がサロンフットボールを日本に、とくに北海道に普及させた動機を確認しておきたい。まず、前述のように北海道における冬季室内サッカー訓練に有効だったからといえよう。 そして、その有効性に注視すると、サロンフットボールには、「最も成長期に重要な遊技性や競技性(ゲーム戦略・ゲーム感性等)の練磨・高揚の場」(柴田勗、「室内サッカー論考 ―南米を源流とする―」、『比較文化論叢6』、札幌大学文化学部)があるというのだ。 柴田の説を私なりに解釈するとフットサルやサッカーにおける競技性は、ゲーム中における感性を意味している。練習ではメニューごとに指示を与えることができるが、ゲーム中はプレイに指示を出せるわけではない。シチュエーションは刻々と変化していくのだから、ボールを中心にして自分以外の21人がピッチ上でどのように動いているのかを的確に判断し自らの行動を決しなければならない。むしろ一々判断するという間もなく、一瞬のひらめきで動いていく。 美しくみごとなプレイがつながり生みだされたゴールシーンでは、選手と観客のボルテージは一気に高まる。このとき競技場は、歓喜と熱狂の渦に包まれる。 今福龍太は、こうした昂揚の場となるサッカーを、瞬時の強度に満ちた生々しい「いま」を現前化させる「身体的アート」と評している(今福龍太著、『フットボールの新世紀』、廣済堂出版)。 舞踊や芸能の世界ではなく、ボールゲームであるサッカーを「身体的アート」という。まるでボールと戯れているかのようなみごとな足技は、確かにダンスを踊っているかのようでもある。 そういえば巧みな技で相手を翻弄するさまを、ブラジルではDAR UM BAILE(ダンスを踊らせる)と表現している。 サロンフットボールで柴田が伝えようとしていたのは、「いま」を現前化する高揚の場としてのサッカーであり、「身体的アート」としてのサッカーである。そして遊技性と競技性に満ちたゲームの「感性」を磨くことである。こうした「感性」と「身体的アート」としてのスポーツが日本でいち早く北海道で揺籃期を迎えたということはとても意味深いものである。 3.スポーツの世界化 スポーツは、世界中の人々が共有体験できる文化である。言語の壁を乗り越えられる「身体的アート」としてのスポーツは、メディアの発展と歩調を合わせるようにして文字通り世界化した。 今や世界同時中継されて延べ数十億人がサッカーのワールドカップ大会やオリンピック大会の競技観戦に興じるという。 北海道では、2002年にサッカーのワールドカップ大会、2006年にバスケットボールの世界選手権大会、2007年にノルディックスキーの世界選手権大会など世界レベルの大会開催地となったので、メガ・イベント化したスポーツについての実感はより深いものがあるだろう。 ここで、スポーツの世界化について確認しておきたい。具体的なイメージをつかむためにもサッカーに絞ってみる。サッカーの起源には諸説あり、いまだに決着をみないが、2004年にFIFAのプラッター会長は古代中国の蹴鞠を描いたレリーフをフットボールの起源とする発言をしている。足でボールを扱ったものをフットボールとする見解には一定の理解はできるが、ことサッカーの起源とするにはもう少し検討がいるのではないだろうか。 ここでは古代における「フットボール」の様子はさておき、近代スポーツとしてのサッカーが誕生するところをみていこう。 前近代におけるフットボールは、農村部における農耕暦や土着宗教にもとづく祭祀儀礼の性格を持ったものであった。長い冬が終わり春の訪れとともに、森や土地の精霊たちを目覚めさせ今季の豊穣を祈り、占うために、村落共同体(男子)挙げての昂揚の場であった。 村の中に設けられた二箇所のゴール(多くは目印となる樹や石壁のようなものである)へ、ボールをタッチする形態のゲームである。村中の男子がボールを奪い合い、いたるところを駆けめぐりながらボールをゴールへと運んでいく。 とはいえ、ゴールすることや勝敗より、むしろ混沌と騒乱状態を導き出すことに重きが置かれたともいう。粗暴さや無秩序な状態となっているように見えても、村落共同体のもつ不文律がそれをコントロールしていた。 中世以降都市が形成されると、出身地の異なる人々が都市生活を営むことになる。すると都市で行われるようになるフットボールは、農村部におけるそれとは様子が違ってくる。つまり、都市は出身地の異なる人々の集まる共同体であるから、それぞれの村落共同体に伝わる慣習や土着性が共有できない。 都市における昂揚の場としてのフットボールは、混沌と騒乱状態をコントロールするはずの不文律が成り立たないのである。したがって街中を走り回るフットボールは単なる暴力装置とみなされ、中世都市には何度もフットボール禁止令が出されたほどである。ところが、フットボール人気は衰えるどころか、新しいスポーツの様態として都市に息づいていくのである。 18世紀になって産業革命の起こるイギリスでは、都市形成も変容していく。工業都市には成功を収めた中産階級が、新興ブルジョアジーとして台頭する。 貴族の子弟を教育していたパブリックスクールでは、新興ブルジョアジーの子弟が新たに通うようになった。すると、それぞれの出身地ごとのフットボールを学校内で行うのであるから、先述の都市同様に秩序が乱れるようになったという。学校内でのフットボールが騒乱状況と見なされたことは想像に難くない。私自身も小・中学校時代教室や廊下でサッカーや野球まがいのものをしては教師に怒られ続けたものである。 そのようななかでフットボールなどのスポーツを禁止し取り締まるのではなく、積極的に容認し、教育的手段として活用するという政策転換を行ったのが、1828年にラグビー校校長に就任したトーマス・アーノルドである。 彼は、集団スポーツを通して強健な身体と健全な良識、強固な意志を持ったジェントルマンを養成しようとした。この理想像は「muscular christian」という新しいジェントルマンの理想像につながり、スポーツ教育は功を奏した。ラグビー校での成功から次々にイギリスのパブリックスクールでは、スポーツによる教育改革が進められていく。 村落共同体において不文律の下で成立していたスポーツは、パブリックスクールにおいて成文化されたルールをもつようになった。1845年には、ラグビー校でフットボール・ルールが成文化される。それから各パブリックスクールで独自のフットボール・ルールが形成されていく。各校からの卒業生が集った大学においてもフットボールは中心的なスポーツであり、ここにおいてルールの統一がなされた。 イギリスの産業革命は、さらにフットボールへ影響を与える。それは、蒸気機関車による鉄道網の発達で都市間の移動がより便利になったことで、チームの移動がしやすくなり各都市に立地する大学間の対抗戦が頻繁に開催されたことである。そこでさらにルールの統一が図られた。 それまでは、パブリックスクールや大学内で秩序を乱さない程度に用いられていたルールが、対抗戦ともなればそれぞれのルールを持ち寄って調整する必要が出てきたのである。対抗戦が活性化し、また広域化することで試合ごとに調整するのではなく、固定的で普遍的な統一ルールが必要となってくる。 フットボールの競技組織も結成されてくるなか、1863年12月8日ロンドンにてThe Football Association(FA)が成立し、13ヵ条のルールを制定した。ちなみに、ボールを手で扱うことを主張したメンバーたちはFA結成に参画せず、1871年にThe Rugby Football Unionを結成する。 その後、FAルールによるフットボールは、イングランドという地域を超えてイギリスの領土内、そして成文化されたルールは翻訳されて他国へも伝播し、ついには国際ルールを成立させていく。こうして土着性の色濃い民族スポーツとしてのフットボールは、あらゆる垣根を超えられるよう合理的で普遍的な近代スポーツとして、いわば無色透明なサッカーへと変容したのである。ルールの統一と成文化によりサッカーは、民族や国家、イデオロギーを超えて世界化をとげた。 この世界化の背景には産業革命の恩恵の他に、帝国主義政策があることを見過ごすわけにはいかない。ヨーロッパ列強の国々は植民地獲得競争を行っており、その成果として世界各地域へのヨーロッパ近代的システムが広がっていたのである。 こうしたヨーロッパ主導の近代化は、それと対立するものを抹殺し、対立しながらも妥協するものは周縁に追いやり、受容したものは同化させていくようにして進展していった。それはサッカーの世界化にもいえることである。 そしてもう一つ、スポーツの世界化の背景に、戦後飛躍的に進展していったメディアのスポーツへの影響を付け加えておきたい。 活字からテレビ放送、衛星中継、インターネットへと進むメディアによる演出によって一大スペクタクルへとスポーツは変容した。もはやスポーツは地理的な問題だけでなく、政治や経済的な「世界化」をも成し遂げたのである。 メディアの進展は、現場でしか生の体験として共有できなかった「身体的アート」としてのスポーツを、生放送という形でどこにいても共有できるようにした。 4.ニュースポーツの意義 21世紀、私たちを取り巻く世界は加速度的に変化している。ヨーロッパ近代システムの世界化を推進した競争原理は、自由競争の名の下に過剰にはたらくことになり、すでにいたるところで臨界点を迎えている。 それは、核問題、経済問題、環境問題、新たな戦争(「テロ」との戦争)問題などを私たちにつきつける形で示されている。 当然のことながらヨーロッパ近代システムの世界化と同調するようにしてスポーツも、このような問題を抱え込む。そして、競争原理を内包するスポーツは、勝利至上主義的になりやすいために国家間・民族間の代理戦争的な要素さえはらみ社会的問題を引き起こす。ドーピング問題も注目を浴びている。 現代は、このようなスポーツの引き起こした問題の解決が求められる。その一方で、それまでとは違う原理、価値観のもとでの新たなスポーツ文化の形態が現れてきている。 そのひとつがニュースポーツの台頭である。近代原理、近代スポーツの見直しのもとニュースポーツは広まっていく。それは、単に新たに創り出されたという意味ではなく、近代スポーツを補完するというのでもなく、また近代スポーツのアンチ・テーゼとして位置づけられるのでもない。 むしろニュースポーツの台頭は、近代スポーツをも包含しつつ、新しいスポーツ文化の可能性を模索しようとする姿勢である(稲垣正浩、「ニュースポーツ論議の意味」『近代スポーツの超克―ニュースポーツ・身体・気―』、叢文社)。 このような観点から、稲垣正浩はニュースポーツを9つに分類している。 1.最先端科学技術の成果を応用してはじめて可能となるスポーツ。 2.新しく考案されたスポーツ。 3.既存の競技スポーツのルールや用具を簡易化させたスポーツ。 4.体操・ダンス系身体技法をスポーツとして捉え直したもの。 5.マージナル・スポーツあるいはバナキュラー・スポーツ。 6.瞑想系身体技法をスポーツとして捉え直したもの。 7.ウォーキング系マルチ・スポーツ。 8.ウォッチング系身体技法をスポーツとして捉え直したもの。 9.ツーリング、旅をスポーツとして捉え直したもの。 この9つの分類は、1〜4と5〜9に大別される。前者は、近代という時代を通過した現代において可能となったスポーツ。後者は、近代とは別の視座に立つことで新しくスポーツとしての価値と可能性がひらかれたものである。 さらにいえば、後者は身体よりもむしろ心の内省の充足度が問題となるものである。 心身の問題は、なにも現代に限った特徴的な問題ではない。古代から身体と心の調和は説かれていた。 近代スポーツにおいても、例えば先にみたトーマス・アーノルドもスポーツ教育により身体と心を鍛えようとしていた。しかし、過剰にはたらいてしまった競争原理のもとで近代スポーツは勝利至上主義に傾いてきた。競技スポーツのみをスポーツとして捉えるむきもあった。競技結果を重視するあまりに身体や心の問題を軽視し、それらをコントロール可能なものとして捉えてきてしまったのではないか。 その結果がドーピング問題である。こうした反省点から、ニュースポーツの台頭は次の時代を担うスポーツ文化の模索として始まったのである。 そうであるならば、上記の分類に「武芸における身体技法をスポーツとして捉え直したもの」を付け加えたい。 オリンピック競技となっている柔道だけでなく、日本の武道は近代スポーツ化して世界化をとげている。その一方で、身心の問題を扱う一領域として、伝統的な身体技法を見つめ直す意味で武芸は新しい可能性をひらいていると思われるからだ。 |
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