HOME > 卓見・愚見(投稿欄) > 第5回 足るを知る
更新日:2008年2月7日(木)
卓見・愚見(投稿欄)
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1月の寧楽はとても寒く、中旬の朝には零下26℃になりました。札幌で19年ほど暮らしましたがこんなに気温が下がることはなく、初めての体験となりました。 わが愛車もこんな低温は初体験でファンベルトからギ〜といった異音が出るといったトラブルが出ました。 |
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| 慌ててディラーへ連絡しメカニックに状況を診断してもらったり、エンジンオイルやクーラントの耐寒温度を確認したりと「備えなければ憂い大いにあり」を実践してしまいました。まあ、クルマも持ち主も都会派だからねえと負け惜しみを言っても始まらず、ひたすら驚いたフリなんかをしちゃいました。 でも、一番寒いのは2月となると、果たして都会派の人とクルマの運命は・・・。 さて、このごろ「知足安分」ということが心の中でひっかかっています。わが心の議会では賛否両論、激論?が交わされておりまして、批判派いわく、「足るを知り、現在の分に甘んじるというのは退廃思想であり、敗北思想である。われわれはさらに進歩しなくてはならない。 人間は死ぬまで向上するための努力を捨ててはならないのだ!」。一方の推進派いわく「欲望をただ肥大させていくことを進歩とは言わないぞ。 わが国のオーディオ装置を見よ。もっといい音をという欲望のため、財政を無視し何度買い替えをしてきたことか。現在の装置では一応の完成を見たのでこれ以上の買い替えは不要である、と言ったのにその舌の根も乾かないうちに、スピーカシステムの買い替えを計画していると聞いているぞ。だいたい歳を取ってきて肝心の耳のオーディオ特性が落ちてきているのに何がいい音なんだ!」 「どうしてお前は最高機密を知っているのだ。 誰から聞いたんだ。これは大問題だ、大不祥事だ、責任者でてこーい!」とまあ、恥ずかしながらわが心の議会はなんともレベルの低い討論をしております。 が、実は、先月号のお約束で立て続けに「へたな人生論より徒然草」という本と「へたな人生論より良寛の生きざま」という本を読みまして、お二方の生き方にすっかり感動しているのです。 さらに、企業戦士を廃業し、無収入の不便な田舎のしかも福祉施設のボランティアという今の環境は、便利で刺激的だけれども何をするにもお金が必要な都会暮らしの時と比べて、はるかに「知足安分」を実践しやすいことは明らかなのです。 むしろ「知足安分」に舵を切り、この中で楽しみを見つけていかないと何をするにも都会の方向を見て、煩悩にあがき苦しみ忍忍忍の土気色の人生を送るはめになるだろうという虫の知らせがするのです。 で、今の環境での「知足安分」の中身は、というと、まず楽しみですが、寧楽共働学舎の目指す方向が自分の考えにどんぴしゃりということがあります。つまり限りなく自給自足を目指すということで米の増産、野菜などの種類を増やす、突然に椎茸栽培にチャンレンジするなど、自分にとっては未知の領域での仕事となり、これが知的(痴的とも言う)好奇心をものすごく刺激しますし、なによりも好奇心が仕事になるという幸せ。 それと素人カメラマンとしては寧楽の自然などを撮影し、それを絵葉書として販売しようという、ある意味自分の持っているであろう潜在能力のレベルを大げさに言えば世に問うことが出来るということ。これはすごくエキサイティングなことです。 それに、精神面では今までせっせと積んどいた本を読み直すこと。しかも多少は人生体験を積んだ今、読み直すことによる新たな自分を発見するであろう期待があります。 音楽鑑賞も同じことが言えますね。実はベートーベンのアダージョ集をCDRで作りたいという野心? があります。曲のジャンルにかかわりなくベートーベンのアダージョを聞くと彼の優しさや聞く者への励ましに触れることができ、やっぱりすべての音楽のエベレストはベートーベンだと思うからです。 それに音楽は本以上に聴きなおす毎に新しい発見がありますので、今溜め込んでいる以上のCD調達の必要性は薄いと割り切ることも決して無理なことではありません。まあ、スピーカを換えるかどうかの問題がありますが、今のヤツをもう一度徹底的に調教するという楽しみもあるにはあって・・・、と歯切れはちょっと悪くなりますが。 そして、これらの楽しみに寧楽の素晴らしい自然が加わるという按配で、こう書いていると、やろうとしていることのどこが一体「知足安分」なんだよ、贅沢そのものだよ、と言われそうですね。 でも、これらにはたいしたお金はかからないのです。ホント。おしゃれなんかも関心がありますが、これも今まで気に入って買い込んだ服を仕舞い込んでの収納ではなく、すべてハンガー掛けにして一目瞭然に収納することで再利用が可能になるわけで、これなんかもおしゃれに関しては流行に右往左往しないトラッドという好みが生きます。 精神の貴族を目指してイギリス貴族よろしく肘の部分が擦り切れたヘリンボーンのツィードジャケットを着こなすなんてとても素敵でしょ。ミーハーで。それにいよいよになったら擦り切れた部分に皮のパッチを不器用なりに自分で当てるという独り者の特権が加わりますから、これはもう最高です。 ただし、人品も鍛錬しなくてはいけませんが、これもチャレンジのし甲斐があると言うもの。 良寛さんの「知足安分」は他宗の寺の隠居屋というボロ家に借家し、頭陀袋に入った托鉢の米三升と手元には焚き木が一束のみで暮らし向きは十分というものだったらしいですね。これに比べると自分のそれはモノまみれだし、衣食住と医療は確実に確保、それに多少の蓄えありと、今までの蓄積と寧楽共働学舎という存在の上で成立させようとするものなのでウソだと言えばウソになることは重々承知。 時代が全く違うよ、などと下らぬ言い訳はしません。吉田兼好や良寛のような賢者とは比べようのない意識レベルの差があるわけですが、それでも自分流の「知足安分」に舵を向けてみたいと結論づけた次第です。 やってみたいのです。 |
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