更新日:2007年12月20日(木)
ぶらりしゃらり
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| 札幌のサッカー・ファンになじみ深い岡田武史が、オシム監督の後任になった。 岡田は早稲田大学サッカー部で、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(会長)やぼくの20年近い後輩なのであるが、今日はそんなことよりも、岡田と、あるイギリス人外交官の「読書」について語りたい。 その人物とは、幕末から明治にかけて、通算約25年間、日本に駐在して、日本の進路決定に大きな影響を与えたイギリスの外交官アーネスト・メーソン・サトウである。 いまは亡き碩学、萩原延壽さん(1926〜2001)は、労作、『遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄』(朝日文庫・全14巻)の(1)「旅立ち」の序章で、「八十六年という長い歳月を着実に生き抜いた人物の生涯」を、これから追ってゆくにあたって、その人物の凄さを示す例として、晩年の読書を紹介している。 日記の1919年(大正8)4月12日はこう書かれているという。「午前中、エラスムスの書簡集、昼食後、トルストイの『戦争と平和』、お茶のあと、メッテルニッヒの書簡集、夕食後、ゲーテの『イタリア紀行』とサント=ブームを読む」 サトウが本格的にロシア語を習いはじめたのは、その3年ほど前で、やがて『戦争と平和』の原書を取り寄せている。そして2年で読みおわる。 さて、岡田の読書である。去る98年ごろ『早稲田大学ア式蹴球部75年史』の編集責任者だったぼくは、おりからW杯フランス大会の日本チームの監督であった岡田に原稿を頼んだ。 失礼ながらそれは、意表をついたすばらしい内容だったのである。岡田が早稲田の現役選手だったときの部の監督は、ベルリン五輪の代表選手だった堀江忠男先生だった。政治経済学部長をつとめた経済学者である。 岡田は、堀江先生がお子さんと遊んでいるときに、「先生、一番大事なものは愛情ですか?」と質問した。てっきりそれは学問だと思いこんでいたからだ。すると先生は、こう答えた。「そうだ、おれは人類愛のために学問をしている」 そのとき岡田は、トルストイの『戦争と平和』のなかで、ナポレオンとの雨中の戦いで負傷したアンドレイ公爵が気がついたとき見上げた、真っ青な空、ひとつの大きな雲、を見たような気がしたという。 ぼくは、オシム監督が倒れたとき、涙ながらに語る川淵キャプテンの記者会見をテレビで見ながら、心中想いやって胸迫るものがあった。ともに回復を祈りながらも、なぜか即座に、岡田のあの文章がこころに浮かんだのである。オシム流の知性を、ぼくは岡田のなかに感じていたのかもしれない。 そして再びサトウである。ダンテ、マキアヴェリ、ボズウェルなども登場して、読書録のごとき日記は、1926(昭和元)年12月31日までつづくのである。 幕末の日本に『英国策論』などで大きな影響を与えた人物は、昭和になってもすごい読書をつづける。ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』を読んだ日の夜、曇り空が晴れて星が美しかったという。 漱石の『我輩は猫である』に影響を与えたといわれる、奇想のあの小説! 新年はぼくにとって、本を、オシムを、岡田を、想うためにある。 |
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