HOME > 卓見・愚見(投稿欄) > 第2回 お金はないが工夫がある
更新日:2007年11月20日(火)
卓見・愚見(投稿欄)
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共働学舎にはお金がない。一度でも学舎を訪れたことのある人は、声をそろえてその通り!というはずだ。しかし、訪れた誰しもがある種の豊かさを実感していることも事実だろう。 かくいうわたくしも10年ほど前、カミサンの運転手で初めて当時のボロ家の見本のような学舎を訪れて以来、お邪魔するたびに豊かさを感じていた一人だったのだ。 そして、ついには学舎に押しかけるという暴挙?を実行した者として、学舎の持つ豊かさの謎の解明に鋭意努めているという次第。どうでもいいけどね。ということで、今回は、解明の一端をお知らせしたいと思う。 |
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| 解明のための道案内として、今、手元に「優雅な暮らしにおカネは要らない・・・貴族式シンプルライフのすすめ」という本を用意した。貴族式というのは、この本は父親の代で没落したドイツ貴族が書いたからで、貧乏暮らしに耐えるためのノウハウではなく、本当のぜいたくとはお金をかけないシンプルな生活だ、ということを提案しているものだ。 で、この本を読んでいくと、共働学舎の生活とかなりダブってくるのがわかってくる。例えば、テーブルとか椅子だが、貰い物を集めているので、形がそろっているものはない。 だけど、妙に雰囲気に溶け込んでいて、これでいいんだと思わされる。食器も同様でゲストが来た時はだいたい夕食会をするが、なにもばちっと揃ってなくても、誰も気にしない。それよりも料理が美味しいし会話が楽しいのだ。 集団生活もお金をセーブする一面がある。これは一人暮らしをしてみると良くわかる。特に食料品はこの傾向が大きいし、家電製品の活用度も違いがでているだろう。 そして、お金のない学舎の豊かさを支えている大きなものは食材の自給自足度合いが高い、ということだろうと思っている。現在、学舎で自給しているのはお米、野菜、肉(豚肉)、玉子で、野菜は無農薬・有機栽培というおまけがつく。それに春になると山菜、秋にはキノコという自然の恵みもある。火災焼失後に再建された新母屋では、これらに加えて薪ストーブによる暖房、薪ボイラーによる給湯という工夫が加わる。薪は無償で提供された廃材や山から切り出した間伐材を使うので、価格が上がるばかりの灯油に比べるとコスト上の優位性は高まるばかりだ。 残るは電力だが、太陽発電や風力発電をやろうかという楽しい課題となる。つまり、次のステップは自給度を食材以外に拡大していこうという作戦だ。まあ、これなんかは集団生活ゆえの優位点だろう。せいぜい夫婦二人の家庭では逆にコストがかかり、こうはいかない。 さて、都会暮らしに比べた田舎暮らしの良い点とはなんだろう。都会では何をするにしてもお金がかかる。従って消費に見合う現金収入が必要となってくる。 一方の田舎では、というと、これが大きな間違いだと思うが、都会とあまり違わない消費生活となっている。寧楽の最寄の都会というと留萌市になるが、日曜日ともなると大型スーパーの駐車場は周辺の集落から来た買い物客のクルマで一杯になる。そしてこれは多分、日本中の田舎の風景でもあるだろう。 田舎が都会と同じ生活パターンになっては不便で収入が少ない分、田舎がさびれていくのは当たり前。田舎暮らしの良い点とは、お金のかからない生活ができることだとすると、共働学舎の生活というのは、元々田舎の持つ良い点をうまく活かしているということではないか、と思う。結局、マジックでもなんでもないのだ。 さらに最近、寧楽共働学舎のご老公福澤氏はあることを考えているらしい。 物々交換システムである。学舎で豚肉が余り、仲間の漁師で売りに出せない捨てるだけの魚介が出たとする。こいつをお互いに交換しようよ、というネットワークだ。 また、遠くの農家でキャベツが豊作貧乏になって潰すらしいと聞くと、やっぱり豚肉を持って交換にいく。学舎の人間さまが食べるのも良し、豚さんが食べるのも良し、といった具合で絶対に無駄にはならない。賞味期限が過ぎた食品を捨てているコンビニシステムとは対極にある 捨てるのやめようシステムなのである。 これも生産をしている田舎だからこそできること。消費一辺倒の都会では実現不可能な田舎のお金のかからない強みなのである。 |
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