更新日:2007年11月13日(火)
ブラキストン線
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M君は私の年少の友人である。奥さん共々税理士で事務所を開いている。見ていると有能でテキパキと事務を処理しているのは奥さんのミーさんの方で、亭主のM君は勘所を押さえ、お客との社交に時間を費やし、午は碁会所、夜はカラオケに精を出している。 あるとき、タクシーに同乗していたら、彼のシャックリが止まらなくなった。オヤオヤ酒の呑み過ぎで好漢も一巻の終わりかと思っていたら、三ヶ月の禁酒をしましたという。彼は本当に禁酒を実行して健康を回復した。 M君の棲むマンションはわが家から三十メートルも離れていないが、最初の出会いは彼がPTAの会長を務めていた小学校で、昔話を小学生にしてほしいとの依頼であった。その小学校は私もかつて通った公立の小学校、私は戦時下の空襲の話をしたのだが、児童たちは敏感に反応してみごとな作文がたくさん集まった。 この出来事は私を地元の地域社会に回帰するきっかけとなり、いつのまにか“ふるさと豊島を想う会”の会長にさせられ、M君は有能な事務局長の役割を今日まで続けている。そのM君が、税理事務所二十周年記念のチャリティコンサートを開き、シンガーソングライターの堀江真理さんの愛の歌と銘打ち、コンサートのあとは懇親会を開き、百人近い友人・知人が集まった。 心憎いのは、コンサートを有料にし、集まった会費を豊島区のみらい文化財団に寄付した。M君は自らの趣味を生かし、ひとりのアーティストのパトロンとなり(スポンサーではない)しかも、地元の文化財団という公共事業に寄付までした。 私が「金の使い方がうまい」とほめたら、本人もご親族もほめ方が面白いと反応がかえってきた。世の中に事業に成功する人々も少ないが、成功した事業の利益を巧みに散ずることのできる人はもっと少ない。 日本国家の金の使い方 戦後の日本はながい間、一国平和主義で過ごしてきた。第一次湾岸戦争が、130億ドルの金を拠出したにも拘らず、「日本人は血も汗も流さないのか」と非難された。NGOという言葉が流行し、平和主義の社会党が、一国平和主義の偽善性を突かれ、とうとう党が消滅してしまった。 今回のアフガン・イラク戦争に際し、テロ防止の国際協力として、日本は海上自衛隊のインド洋での石油補給の任務を買って出た。イラクへの陸上自衛隊の派遣と並んで、平和憲法下の日本の苦心の演出である。 それは厳然なる海外派兵であるが、同時に災害救助、経済復興に任務を限定することで平和憲法の制約を守り、国際的にも拍手と賛同を得た。11月1日、テロ防止法の期限切れで、海上自衛隊の活動を打ち切るという。 小沢民主党のいう“国連決議”のあるときにのみという主張は、理想論として、アメリカ批判として意味を持つだろうが、国連の実態を過大評価しすぎている。第一次湾岸戦争でも国連は態度決定ができず、多国籍軍という新しい国際協力が生まれたのは、記憶に生々しい。とにかく、個人も国家も金の貯め方も大変だが、使い方も難しい。自分の趣味・性格を生かし、公共のために金を生かすことはなお難しい。 |
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