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更新日:2007年10月16日(火)
特集

ヨーロッパの「一員」か「隣人」か〜ウクライナ・アイデンティティの歴史的変遷〜(下)



光吉淑江 明治大学文学部非常勤講師

3、第2次世界大戦をめぐる記憶

 2007年4月末、旧ソ連エストニアの首都タリンで第2次世界大戦のソ連兵記念碑の撤去がロシア系住民の激しい反対を招き、ロシアとエストニアの外交関係が極度に緊張するという事件がおきた。この記念碑はナチス・ドイツに対するソ連勝利の象徴だが、大半のエストニア人にとってソ連の勝利とは戦間期エストニアが享受していた独立を喪失し、ソ連による戦後占領の開始にほかならない。旧ソ連各国の多くでいまだ重要な祝日である第2次世界大戦戦勝記念日5月9日を間近に控えて起こったこの事件は、国際的にも大きく取り上げられ、戦争をめぐる歴史認識の違いを改めて考えさせられることになった。ウクライナの「歴史認識の違い」は、エストニア同様、いやそれ以上に複雑なのである。

 第1次世界大戦後、西ウクライナの大部分は再興したポーランドの支配におかれた。独立を達成できなかったウクライナ人は、ポーランド政府の厳しい少数民族迫害政策に遭うなかで、社会的・民族的不満を募らせていった。若い人々を中心に、ウクライナ民族独立を至上目的とする極度に愛国主義的なウクライナ民族主義のイデオロギーが成長していったのである。1939年9月、独ソ不可侵条約の秘密議定書の取り決めに従い、ソ連はドイツと共にポーランドを東西に分割し、西ウクライナをソ連のウクライナ共和国に併合した。しかしソ連の社会主義政策は、過酷な農業集団化やウクライナ民族主義者に対する弾圧を伴い、西ウクライナの人々が待ち望んでいた形でのウクライナの独立ではなかった。新たな支配者であるソ連とロシア人への敵意はますます強まり、民族運動はソ連を最大の敵とみなして急進化していく。
 こうした流れのなかで、ウクライナ国家建設に立ちはだかるソヴィエトとポーランドという強大な敵に対抗するには、徹底的な反ソ・反ボリシェヴィキ思想を掲げるナチス・ドイツとの協力が選択肢として浮上したのであった。ウクライナ民族主義勢力はドイツ軍部と交渉の結果、ウクライナ人部隊「ナハチガル」と「ローランド」を創設し、約700名がドイツで軍事訓練を受けた。
 ドイツとの協力によってウクライナ国家を建設するという目標は、1941年6月に現実のものとなる。1941年6月22日独ソ戦が始まるとソ連の西ウクライナ支配は終わり、リヴィウに入城したドイツ軍の傍らには「ナハチガル」部隊が続き、ウクライナ共和国の独立宣言をおこなった。リヴィウのウクライナ市民はドイツ軍を歓迎し、ギリシャ・カトリック教会はこれを支持し、祝福を与えた。「ナハチガル」部隊はドイツ軍への感謝の念を述べ、ウクライナ独立を阻むソヴィエト政権、ロシア人、そしてボリシェヴィキに協力するユダヤ人に対する怒りをあらわにし、彼らへの容赦なき戦いを宣言した。そして実際、多くのユダヤ人が殺害されたのであった。

 1943年には新たな対独協力として、ナチス武装親衛隊の外国人部隊のなかに「SSガリツィア部隊」が創設され、西ウクライナを中心に約8万人もの志願者がSSガリツィア入隊募集に殺到した。ウクライナ人兵士の多くは、ナチス・ドイツのために戦うというより、将来のウクライナ独立国家の礎となる軍団と理解して、ウクライナ人独自の軍隊を持つことに誇りを感じていた。SSガリツィアは、ソ連軍との戦闘に破れたあと東欧を転戦し、その後連合国側に投降した。そして戦後、多くの兵士は連合国の捕虜収容所を経由してアメリカ大陸に移住していった。

 第2次大戦におけるウクライナ人の経験と対独戦争協力は、ウクライナ史研究のもっとも難しいテーマの一つであるとともに、現代ウクライナにおける政治課題でもある。
 民族軍の流れを汲む団体、それに同情的な北米のウクライナ系移民社会はウクライナ民族主義者とドイツが協力関係にあったことは否定しないものの、戦争協力の実態と本質、特にユダヤ人虐殺への関与について深く追究することを避ける傾向にある。
 ナチスとの協力は国家を持たないウクライナ人にとって止むを得ない選択で、ドイツとの協力は短期間のうちに破綻して、ウクライナ民族主義者の活動は対ドイツ・パルチザン闘争に転換していったと主張し「ウクライナ民族主義者=ナチス協力者」のイメージの払拭につとめてきた。そして、ペレストロイカからソ連崩壊期にかけて歴史の見直しが始まると、ウクライナ民族主義者はウクライナ独立のために闘った英雄として名誉回復すべきだという議論が登場した。

 しかしこの思いは、第2次大戦をソ連兵として戦った東部南部のウクライナ住民にとって簡単に理解されるものではない。約2千万に上るソ連の大戦犠牲者の半数は、国土のほとんどをドイツに占領されたウクライナ人だともいわれているのだ。ウクライナ東部南部の住民はソ連のもとでいかなるアイデンティティを形成し、ソ連の歴史をどのように考えているのであろうか。

 西ウクライナに遅れをとっていた東ウクライナのアイデンティティは、ロシア革命・ウクライナ革命の時代を経て、かなり確かなものになっていった。1920年代、ウクライナ・ソヴィエト共和国では「ウクライナ化政策」が始まり、ウクライナ語の普及、ウクライナの民族文化と歴史の振興政策が採用された。大ロシア主義が高揚したといわれる第2次大戦後になっても、ソ連のウクライナ民族政策はモスクワからの一方的な押し付けではなく、地方当局との交渉と折衝を経て計画実行されてきた。東ウクライナの人々は、ウクライナとロシア共通の歴史認識、ロシア語とウクライナ語のバイリンガル、ロシア人とウクライナ人の婚姻、ロシア・ウクライナ間の移住、冷戦時代にあっては西側資本主義への敵愾心醸成といったソ連の民族政策によってロシア人ではない「ウクライナ人」というアイデンティティを自らのものとしてきたのである。大戦後、フルシチョフやブレジネフはウクライナ共和国でキャリアを積んでモスクワへ出世し、ソ連邦全体の最高指導者になっていった。ロシア共和国を「長男」とするならば、ウクライナは残り14共和国のなかのトップに立つ「次男」として、ソ連第2の共和国の地位を自らのものとし、ソ連の指導者と歴史を生み出してきたのである。

 2005年5月9日、モスクワで開催された第2次世界大戦終了60周年の記念式典には、日本を含む敗戦国・戦勝国の首脳が集い、世界平和を誓う盛大な式典となった。
 オレンジ革命後のユーシチェンコ大統領は、モスクワでの盛大な記念式典に出席した直後とあってか、かつての連合国はすでに日本やドイツら敵国との和解を達成したのに、ウクライナでは旧ソ連兵がまだウクライナ民族主義軍と和解できていないと悲痛な声明を発した。

 これに対し、2年後の2007年5月9日の大戦記念日の大統領演説は、民族主義軍への歩み寄りを一歩強めたものとなった。祖国のために戦ったすべての人々の勇気ある行為と愛国心を称え、その1人としてかつての「ナハチガル」部隊将校ロマン・シュヘーヴィチに言及した。それと同時に「わが国民を分断させるようないかなる立場も認めない」と、いまだ解決できていないウクライナ分断の阻止を強調することも忘れなかった。そして大統領演説とともに、ウクライナでは今も7割以上の人が戦勝記念日を大切な日と考えているという世論調査の結果が報道された。西ウクライナの民族主義者の名誉回復を求める動きは着実に進んでいるが、それが東ウクライナ住民にも受け入れられるためには、西ウクライナの人々も第2次大戦のソ連勝利を大切に思う東ウクライナの歴史感情に配慮し尊重すべきであろう。

おわりに

 第2次世界大戦から60余年、ソ連崩壊から15年、世代交代が進めば、歴史認識に根ざした東西のアイデンティティもいずれは消滅していくのではないかという予測はいささか楽観的であろう。西からでも東からでも、時として過激なまでの第2次大戦記念日廃止論や、民族主義軍の名誉回復論、あるいは東からのロシア語公用語化待望論はむしろ若い世代から発せられているのである。

 そして最後に注意を喚起したいのは、このような東西の歴史認識の違い、あるいは西ウクライナ・アイデンティティに潜む排他的な民族主義や不寛容を利用するかのような排外主義的愛国主義、最近のウクライナにおける反ユダヤ主義の増加である。ソ連崩壊以来減少し続けているウクライナのユダヤ人をめぐる状況は近年悪化している。住民の約4分の1が何らかの反ユダヤ感情を抱いており、特に西ウクライナで反ユダヤ感情が強いことが指摘されている。
 19世紀以来、独立国家をもたなかったウクライナ人の歴史は、民族のアイデンティティを形成し、独立国家をつくる歴史であった。それを達成した現在、今のウクライナは民族のアイデンティティを声高らかに主張する必要はもはやなくなった。今ある国家も民族主義者によって創られたものではなく、ソヴィエト時代の経験を経て成立し、そしてそれは常に多民族で多文化社会であった。21世紀という時代にあっては民主主義と市場経済を確立し、すべての市民によりよき生活を保障せねばならない。ヨーロッパ、ロシアとの関係を改善強化しつつ、国内改革を実行できる政府を国民はもとめている。東西ウクライナの歴史にもとづくアイデンティティの違いが外交や民主化、市場経済改革に関して影響を及ぼすことはないだろう。しかし文化や言語政策に関しては、歴史を無視した政策、多民族・多文化共存にそぐわない均一的なアイデンティティの性急な押し付けでは、東西の違いを再びきわだたせ、時には政情不安を増大させる勢力を生み出すことになりかねない。多様な価値観を尊重するための寛容な精神と時間が、ウクライナの国民全体に求められているのである。

*編集部より・本稿の著者のさらに詳しい考察は下記のサイトで読むことができます。http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/kokai/2007/2007prog.html#nittei









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