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更新日:2007年10月16日(火)
特集

異国の中の祖国−ブルゲンラント・クロアチア人の過去、現在、未来(下)



三谷惠子 北海道大学スラブ研究センター客員研究員

3. 現在―人口、教育、文化活動

3.1 「ブルゲンラント・クロアチア人」の数

(*) さて、ここからは現在のオーストリアにおけるクロアチア人とクロアチア語の状況をみていくことにしよう。

 まず、クロアチア人の数であるが、表1に示すように、ここで「クロアチア人」というのは、国勢調査でクロアチア語(2001年度の調査ではじめて「ブルゲンラント・クロアチア語」を「クロアチア語」と区別)を「日常語として用いる」と回答した人の数である。オーストリアの国勢調査において日常語とは、家庭内や親しい友人との会話に用いる言語と解釈される。

 オーストリア国内には、ブルゲンラント・クロアチア人以外に、ハンガリー人、スロヴェニア人、チェコ人、スロヴァキア人など、かつてのハプスブルク帝国を構成していた諸民族が少数民族として今も暮らしているが、国勢調査では、使用言語以外に民族的帰属に関連する調査項目がないために、言語話者の数がしばしば、民族集団の数を判断する材料として用いられる。
 当然、日常語として、もはやドイツ語しか用いない市民はこれらの少数民族の数に含まれない結果になり、政府の少数民族に対する保護対策に微妙な影響を与えるという問題を含んでいる。



【表1 クロアチア人の数の推移】


3.2.学校教育と言語

 国民の教育を国家が自ら負うべき義務的事業と考える―今日ではあたりまえのようなことがハプスブルク帝国で始まったのは、かのマリア・テレジアの時代であった。(*)初等教育はそれぞれの民族の言語で、という原則がおおむね貫かれために、クロアチア人社会では、地区の教会が学校の機能をはたし、そこに通うことのできた子供たちは、クロアチア語で読み書きと賛美歌を学んだ。

 19世紀後半になるとハンガリー政府が国民教育に力を入れはじめ、 1879年の学校法で、すべての学校でのハンガリー語教育が義務づけられた。
 しかし1900年の国勢調査でハンガリー国民の40%がハンガリー語を満足に知らないことが明らかとなり、とりわけ、ドイツ語話者やクロアチア語話者の住むブルゲンラント一帯では、その割合は80%を超えたとされるなど、その実質的効果は疑わしいものだった。

 それぞれの地区の教会が学校となり、クロアチア人の多い地区ではクロアチア語もしくはクロアチア語とドイツ語の併用によって授業が行われる、という状況は事実上、1938年にオーストリアがナチス・ドイツに併合され、学校でのクロアチア語の使用が禁止されるまで継続した。(*)
                  
 クロアチア人は、移住とともに、本国クロアチアで用いていた教会スラヴ語とよばれる古い文語の伝統を持ち込んだが、これは日常用いられる言語とはかなり隔たりのある言語であった。
 18世紀以降、学校教育が広まり、また文学やさまざまな世俗の文書が書かれるようになる中で、かれらの日常的な言語をもとに一定の書き言葉のパターンが出来上がった。それが基盤となって、クロアチア本国の標準クロアチア語の語彙を取り入れた標準ブルゲンラント・クロアチア語が形成され、今日、学校の授業やORF(オーストリア放送)の民族語放送で用いられている。(*)

3.3. 文化活動について

 ブルゲンラント・クロアチア人社会には、さまざまな文化的組織がある。もっとも古いものは1929年に設立されたクロアチア文化協会で、オーストリア社会の中でクロアチア人としてのアイデンティティを保つことを目的にアイゼンシュタットで結成され、今日も活動を続けている。
 比較的最近では、クロアチア文化・文書センターがクロアチア関係の文書の収集や出版、あるいは成人に対するクロアチア語教育の場を提供するなどの活動を行っている。ブルゲンラント・クロアチア学術研究所は、クロアチア人の歴史や文化を学術面から研究するとともに、語彙の整備など、ブルゲンラント・クロアチア語の言語計画を担う言語委員会の役割もはたしている。(*)
                  
 2006年の夏から秋にかけて、ブルゲンラント州各地では、1956年のハンガリー革命から50年を経ての記念式典が行われた。ORFの民族語放送でも、クロアチア人の村で行われた記念行事の様子が放送され、その中で、当時18歳だったという女性が、ハンガリー側に住むいとこたちが自分たちを頼って逃げてきたという思い出話を語っているのが、とくに印象的であった。20世紀の最後におとずれた東欧自由化によって、東と西の体制上の壁は取り払われ、かつて親戚同士をも隔てていた国境を越えて、人々は自由に行き来するようになった。
 
 2004年には、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーが欧州連合に加盟し、旧ハプスブルク帝国の領域が再び、一つの連続体を形成することになった。こうした中で、オーストリア、ハンガリー、スロヴァキア3国のブルゲンラント・クロアチア人の交流活動も、盛んに行われている。(*)

4.未来へむけて―拡大する東欧と少数民族

 ヨーロッパ各国にはかならず、少数民族とよばれる集団がいる。どのような集団にとってもそうだが、とりわけ少数集団にとって、固有の言語の維持は現代社会における重要な課題である。そして、大言語が支配する社会の中で少数言語が維持されるためには、何らかの制度的な保障、法的措置が必要である。それは場合によっては、国家間の協定を必要とするものにすらなる。(*) 
 このような状況に鑑みると、欧州評議会(Council of Europe)が1992年に開放した「地域言語もしくは少数言語のための欧州憲章」は、現代ヨーロッパの多言語性を守るための重要な枠組みということができる。
 そしてブルゲンラント・クロアチア語は、この憲章のオーストリアにおける保護対象言語として認定され、政府からさまざまな援助を得ている。
                
 グローバル化とよばれ、情報通信の手段が大きく変わっていく今後において、この欧州憲章のような、少数言語を保護するための国家を超えた枠組みはますます重要になることだろう。しかしそれと同時に、少数言語集団自らが、自分たちの言語の価値をアピールしていく必要もある。

 少数言語、すなわちここではブルゲンラント・クロアチア語の、歴史的正当性や文化的価値のみならず、実用的効果を大言語話者に訴えていくこと―ブルゲンラント・クロアチア語の知識があれば、クロアチア語はもちろん、他のスラヴ語にも容易になじむことができる、チェコやスロヴァキアとの経済交流や、旧ユーゴ地域との将来的な関係強化においてクロアチア語の知識は今後有益である、クロアチア語ができれば就職にも有利である、などといった、言葉の経済的効果を強調することで、この言語への関心を広く社会に呼びおこすことである。
 「数は力なり」という発想は場合によってはきわめて危険なものだが、少数集団に関する限り、これは大いに主張すべきことである。(*)

5.おわりに

 クロアチア政府はブルゲンラント・クロアチア人を、自分たちの一部、あるいは延長という言葉で表し、クロアチアの人々はブルゲンラント・クロアチア語を、クロアチア語の「方言」とよぶ。それはもちろん、歴史的に間違ってはいない。
 しかしブルゲンラント・クロアチア人の意識の中で、自分たちとクロアチアの関係はそのようにとらえられてはいないように見える。祖国から離れて400年以上別々の歴史を歩んできたブルゲンラント・クロアチア人たちにとって、クロアチアは遠い祖国ではあっても、今の祖国ではない。 かれらは、本来異国であるオーストリア、あるいはハンガリーやスロヴァキアの地に融合しながら独自のアイデンティティと言語を保持することによって、自分たちの小さな祖国をそこに築いてきた。クロアチア本国との文化交流やクロアチアからの援助はむろん重要なものとみなされているが、それは、かれら自身のアイデンティティを守るための支えとして重要なのであり、クロアチア本国と一体化したいというような願いとは異質のものである。

 言語の維持という観点からいえば、かれらの将来は、決して明るくない。(*)しかしながら西欧と東欧のまさに境界の上で歴史の中を静かに生き抜いてきたブルゲンラント・クロアチア人社会がこれからも言葉を維持し、自らのアイデンティティを保っていくことを、私は願いたい。
 そしてこの願いは、東欧のみならず、世界に数多くいる少数言語集団が消滅することがないように、地上の多種多様な言語文化が守られていくように、という多くの言語学者の願いにも通じるのである。

*編集部より・本稿の著者のさらに詳しい考察は下記のサイトで読むことができます。http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/kokai/2007/2007prog.html#nittei




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