更新日:2007年11月12日(月)
特集
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ベニス委員会裁定 2001年10月19日、欧州評議会の付属機関である「法による民主主義のための欧州委員会」(通称、ベニス委員会)はルーマニアの提訴、それに続くハンガリーの対抗的提訴という二つの提訴を受けて、「少数民族の民族的本国による特恵待遇に関する報告書(CDL−INF(2001) 19)」を取りまとめた。 それによると「国外同胞に対する便益の供与それ自体は、少数民族問題の平和的解決に資する限り肯定される」が、その施策は以下の四つの基本原則に従うことが必要であると定められた。 その四条件とは、 1)域外的管轄権行使の許諾条件:原則的には、国外同胞への便益供与は国家主権の侵害であり、通常は国際法上認められない行為である。ただし特別な許諾条件を遵守する場合に限って許される。すなわち、 A)立法効力の国内限定(便益は立法した国の中でのみ供与できる)、 B)関係国との事前合意、 C)受益者を特定しない、 D)権限委譲(代理執行)の禁止。 2)誠意に基づく合意 3)善隣関係の維持 4)基本的人権の遵守、差別の禁止: 民族的違いを理由とする便益供与は一種の民族的な差別行為であり、原則的には認められない。ただし以下のような条件があれば、例外的に認められる。すなわち、 A) 社会的要件: 民族的な帰属ゆえに不利な扱いを受けている。 B) 分野的要件: 優遇措置は文化と教育に限定される。 C) 助成対象要件:「本来の」文化的領域に限られる。 D) 節度要件:助成は「節度ある」程度に限定される。 E) 例外限定要件:例外を無限定に拡大することはできない。 以上のベニス委員会裁定を見る限り、ハンガリーの地位法は明らかに四つの条件の全てに抵触している。この結果、地位法はハンガリー国内は別として、国際的には通用性を失った。しかしベニス委員会はこの裁定の中で、地位法が提起した問題の重要性について次のような理解を示した。 「近年、民族的本国は国外同胞の特別な権利に関連して、国内的な法令措置を講ずるようになってきている。しかし、この問題はつい最近に至るまで国際社会において特段の注意を喚起したわけもないし、話題になることさえほとんどなかった。 また、この問題に関する法令を統制したり、調整したりすることも必要とされなかったし、それが試みられることもなかった。しかし、ハンガリー地位法をめぐって生じた論争は、この種の法令が少数者保護に関する国際法や欧州規範に合致しているか否か、検討を要する対象であることを示している。」 つまり、ハンガリー地位法は時代遅れのナショナリズムとして葬り去られたのではなく、むしろ早すぎた「跨境的少数民族保護」として位置づけられたのである。 実は「地位法」制定は社会主義政権崩壊後のスラブ・ユーラシア地域において例外的な現象ではなく、スロヴェニア(「隣接諸国の国外スロヴェニア人に関して」、1996 年制定)、スロヴァキア(「国外スロヴァキア人に関して」、1997 年制定)、ギリシャ(「アルバニアの国外ギリシャ人に関して」、1998年制定)、ルーマニア(「国外ルーマニア人に関して」、1998年制定)、ロシア(「国外ロシア人に関して」、1999年制定)、ブルガリア(「国外ブルガリア人に関して」、2000年制定)、そしてイタリア(「スロヴェニアとクロアチアの国外イタリア人に関して」、2001年制定)などで次々と制定されていたのである。時代を遡れば、オーストリア(「南チロルの国外オーストリア人に関して」、1979 年制定)がその嚆矢であるが、広く地位法制定が浸透したのは、社会主義後のロシア東欧において新たな「国民形成」が進行した時期だった。 ハンガリー地位法制定を個別的なハンガリー的事象として理解するのではなく、一連の地域的連鎖として理解するため、筆者は地位法症候群という用語を用いることにしている。1979 年制定のオーストリア法を除いて、国外同胞立法は、全て旧社会主義国に係わるものであり、しかもそのほとんどが東欧に住む国外同胞を対象としている。さらに、これら全てが 欧州統合の加速する1990年代後半以降において集中的に制定されたことが重要である。実はハンガリーで地位法を制定する準備段階でも、こうした他の東欧諸国の立法が綿密に学習されていた。そして内容的にもハンガリー地位法はそれまでの地位法の集大成という位置づけを持つ。 社会主義後の東欧における国民形成は国外同胞問題の解決を、具体的な「便益」に違いこそあれ、地位法という手段によって実現しようとした。ベニス委員会裁定はこの問題群の存在自体に「市民権」を与える役割を果たした。ベニス委員会裁定が今後、国際規範として受容されていくか否かは別として、地位法症候群(国外同胞問題の跨境的解決)が欧州国際社会の公式的争点として取り上げられたことに大きな意義がある。 地位法症候群とは何か 以上、事柄としての地位法症候群について述べてきたが、この現象をどう学問的に理解するかは、依然として論争中である。論争の中味はおおむね以下のように整理することができる。 ・強権的ナショナリズム論(覇権主義) ・言語共同体論(リンガ・フンガリカ) ・普遍的・究極的少数民族保護 ・理想主義的民主主義(弱者保護) ・欧州統合下の新しい市民権形成(緩やかな市民権、二重市民権など) ・新中世主義(国権以外の権威の併存) ・新国民形成(欧州統合下の跨境的・複合的国民形成) 筆者自身は「新国民形成」という立場を主張している。もちろん他の解釈もそれぞれに現実を反映しており、あれかこれかという択一式の答えがある訳ではない。「新国民形成」論で主張しているのは複合的帰属意識という論点である。これは「新しい市民権」論や「新中世主義」論と近い関係にある。とりわけ「新しい市民権」という考え方に近いと言える。 しかし大きな違いもある。それは「市民権」の領域性ないし団体性である。すなわち「新しい市民権」論において問題とされるのは個人の複合的な帰属意識であるが、地位法症候群では、あるいはいま見たハンガリー地位法が追求したのは集団的な帰属の問題であった。具体的に言えば、ハンガリー人であるという認定は個人レベルで行われるのではなく、居住国のハンガリー人共同体を介して認知されるという仕組みが設定されていたのである。 従って、居住地における既存のハンガリー人共同体への帰属があって初めて、国外ハンガリー人というもう一つの「国民的帰属」が認められるという構造になっているのである。この点では普遍的・究極的少数民族保護の論点と近いが、その保護を与えるのが居住先の国家(市民的本国)ではなく、民族的帰属先の国家(民族的本国)であるところが地位法症候群の特徴である。 多重の帰属意識 多重の帰属意識の一例として、ルーマニアのハンガリー系少数民族における帰属のあり方を図式的に腑分けすると次のようになる。 1.ハンガリー語話者としてのハンガリー人(個人的帰属) 2.少数者としてのハンガリー人(共同体的帰属) 3.市民としてのルーマニア人(国家的帰属) 4.民族的本国としてのハンガリー国家への帰属(地位法による制度的帰属) 5.「国民」としてのハンガリー人(カルパチアという空間での国民的帰属) 6.EU「市民」(広域的帰属) この腑分けに従えば1・4・6の結びつきで地位法を理解するのが「新しい市民権」論である。これに対して「新国民形成」論ではむしろ2・4・5の結合が重要視される。本稿の冒頭で紹介したハンガリー・サミットやハンガリー常設会議はまさにこの結合を政治的に体現するものであった。 いまの欧州における少数民族政策の主流は、国家が自国の少数民族を個人として保護する方向にあり(つまり1・3・6の結合)、地位法症候群のように民族的本国が集団主義的ないし共同体的に帰属意識を醸成する方向には向かっていない。 ハンガリー議会は地位法制定に際して、次のような「地位法の未来」を夢に描いていた。 「地位法は未来に向けて創案されたものである。西欧には、国外ハンガリー人問題と同種の少数民族問題を抱えながら、その実践的解決に成功した幸せな国民が存在する。地位法はこの成功例と同じ考え方に基づいている。 キーワードは少数者共同体の多面的な統合、およびその個人的・共同体的権利の保障と拡大である。(地位法による諸施策は)国境を変更することなく国境を越えた国民統合を促進する。国境は欧州統合の中でも次第に意味を失いつつある。ハンガリーの国民政策は国境に代えて、個々人や人々の共同体へと力点を移していく欧州の本流に乗っている。地位法はこの過程の一里塚である。」 EUの少数民族政策がベニス委員会の問題提起を受け、ハンガリー議会の描くような「地位法の未来」に向けて舵をとり直すのか、それとも「欧州の本流」はそのまま東欧へと流れ込むのか。先のベニス委員会裁定で見たように、ハンガリー地位法は欧州統合の将来に新たな一石を投じたことは間違いない。今後、東欧が主張する少数民族の集団的な帰属性という問題をどのようにEUが扱ってゆくのか、全く予断を許さない。ただ、東欧地位法症候群が提起した問題の波紋は確実に欧州全体に広がった。 EUの東方拡大は単純に東欧が西欧に呑み込まれる過程ではなく、東欧と西欧の新たな対話が社会という局面において始まったことを意味するに過ぎない。その対話は地位法症候群で見たように、場合によって西欧における社会のあり方に再考を求めるものとなっている。 かくて、東欧は拡大する。 |
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