更新日:2007年9月21日(金)
特集
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「寧楽共働学舎」ボランティア。1951年大阪生まれ。大手製鉄会社から札幌の豊平製鋼に勤務。今年、廃校になった教員住宅を一時的に借りて、年明けには新居を留萌郡小平町に建築。 |
| 道産子ではないが北海道での生活を選び、会社を早期退職して日本海側にある町に移住を決意した中里準治氏。受け入れ先には、中里氏が長く支援してきていた「寧楽共働学舎」がある。福澤和雄夫妻が開拓者のように「入植」したのが30年前。 |
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| そこでは社会的弱者を受け入れ、共同で生産活動をしながら自立をめざす活動が営々と行われている。自由学園を源流とする活動は、全国でも展開されているが、そこに中里氏が本格的に関わることになった。190万人の大都市から4千人の町に移住する若手団塊世代の充実した50代の生き方、生活の質を「しゃりばり」で報告してもらいます。 (1) 「田舎ぐらし」志向への決心は、いつごろから芽生えていましたか? そうですね。これが何とまだ駆け出しの新入社員の頃ですから、30年ほど前のことになりますか。その後、会社が嫌になるたびに、やれペンションだ、シルクロードへ行くぞ、とか、太田愛人さんの「辺境の食卓」を読んでは、信州での田舎暮らしにあこがれたりといった調子でした。 一方、鍛冶屋だったオヤジに「お前はオレの子だから会社勤めは1年ももたん」と言われ「なにくそ」と「10年は会社にいてやる」と意地で勤めまして、まあ、この意地が30年ほど続いたということでしょうか。 で、カミサンが去年の5月に乳がんで亡くなりまして、一周忌を迎えた今年のゴールデンウイークで寧楽共働学舎にお世話になろうと決心しました。 (2) 「寧楽共働学舎」でやりたいことをいくつか教えて下さい。 一言で言うと、わが尊敬する開高師のコピーではありませんが、「人間なんだから人間らしくやりたいな」ということですね。 私が今まで属していた社会は、経済的な生活の安定の引き換えに人間を人間として扱わず、収益確保を最優先に労務費とか生産性とか効率といった数字に置き換えて当たり前とする風潮がとても強くなっていました。 一方、共働学舎は人間を人間として付き合うところです。それは生きていくための生産活動の他に喜怒哀楽を共にすることでもあるので、まずはお互いを支えあえる存在になることが大切かと思います。 また、当然、生きていかなくてはなりませんので、寧楽共働学舎の理解者や支援者を増やして、この類まれな存在を継続させていく一連の仕事に強い意欲を持っています。 (3) 大都市から町への移住の楽しみは? 正直、引越ししたての今は楽しみよりは不便さの方が目立っています。水道のパッキンひとつ交換しようと思っても車で30分走って留萌市内まで行かないと手に入りません。「勘弁してよ」といったところですが、まあ、発想の転換というヤツで、それじゃ事前に買い物リストを作って行けばいいじゃないか、という風にやっていけばいいと思うようにしました。 それよりも、引越しして1週間も経っていないのですが、気持ちがとてもリラックスして来たのを実感します。山にたなびく朝もや、昼休みに眺める秋空、山に沈む夕日、星空、虫の音の心地よさは格別ですね。そうそうハエ叩きの楽しみも出来ました。 都会と違って、こちらではハエも元気です。後は2年ほど開店休業状態にある山釣りの再開でしょうか。こちらの友人に釣キチが一人いますので、贅沢にガイド付きの釣りが楽しめます。 (4) 周囲の反応は? 概ね私が予想していたより好意的でした。ただ、カミサンが亡くなったあと夕食の面倒を見てくれていた娘から離れることについて、わがまま、身勝手、情が薄いなどなどの批判を懇意にしている人や奥さんから言われましたね。こりゃエライことになってきたと思いましたが、最後は「行ってらっしゃい」と送り出してくれました。娘は結婚して1歳の子どもが一人いるのですけどね。 (5)中里さんを待ち受ける「寧楽共働学舎」の期待も大きいと思いますが、当面の仕事として何から手をつけられますか? 希望としては広報に力を入れたいと思っていますが、何も知らないのに出来ることでもないしょうから、共働学舎の仕事や課題を良く見、聞き、考えていくところからスタートしたいと思っています。 (6)「アウトドア派」の中里さんにとって、この小平周辺の魅力は何でしょうか? ニセコとか十勝といったこれぞ北海道といったところではなく、地名(寧楽・奈良の古名)の通り、里山的な雰囲気のある場所ですので、田んぼのあぜ道を歩いていて、ふとオタマジャクシを発見するとか、春先のかたくりの群生を見つけるとかいったおだやかなアウトドアを楽しめるかと。 後はアンモナイトの化石が良く出るところらしいので釣竿を化石ハンマーにおきかえて化石ハンターになるとかでしょうか。ダイヤモンドが出るといいのですが。 編集部注 参考までに2002年9月11日付けの北海道新聞「ひと」欄を再掲する。 共働学舎を小平で始めて25年 福沢 和雄さん 「ハンディ持つ人と共に」 行政に頼らず、自給自足を基本に、ハンディを持つ人たちと暮らす「共働学舎」(きょうどうがくしゃ)の道内第一号を、留萌管内小平町寧楽(ねいらく)で始めて四半世紀。十四日に二十五周年感謝の集いを開く。 共働学舎は全国に六カ所、うち道内に三カ所ある。「もともとのスタートは長野県。北海道でもやろうと二年ぐらい土地を探したが、規模拡大の時代で、土地は全く無かった」。母校の自由学園(東京)創設者、羽仁もと子が創刊した雑誌「婦人之友」の会員が小平町の山林を無償で貸してくれ、一九七七年に「寧楽共働学舎」を開設した。 母屋を自ら古材で建てるのに二年近くかかった。農業は素人だったが、傾斜地を削って野菜を作り、養豚、養鶏を始めた。市販の飼料を使わず、規格外の道産小麦で独自の醗酵飼料をつくり、質のよい肉と卵が好評を得た。今では豚二百匹、ニワトリ三百五十羽を飼い、加工場を持つ。 二十人の共同体で、ハンディを持つ人が約半数。行政の補助はない。「補助金を得るには『障害者』として区分けをしなければいけない。ほとんどは生まれつきなのに、それが社会の『障害』のように決めつけられるのはたまらない。能力の不足を持つ人を生かすことが、めぐりめぐって人間の生き方を良くする」と力を込める。東京都出身。五十五歳。(留萌支局 上村英生) |
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