更新日:2007年11月20日(火)
続・柏艪舎の香り風
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すごい。 というか、よく行くなあ……というのが正直な感想だ。 株式会社富士メガネは毎年、海外の難民キャンプでボランティア活動を行なっている。難民の視力を検査し、メガネを配布するというものだ。一九八三年にタイ、ネパールに始まった支援は、現在はアゼルバイジャンにまで支援の輪を広げている。九月末刊行予定の、綱島洋一著『見えた 笑った 難民にメガネを 金井昭雄物語』を担当するまでは、名前しか知らない国だった。 アゼルバイジャン共和国は西アジアの小国で、東はカスピ海、北はロシア、南はイランに接している。北海道よりひと回り小さく、かつてはソビエト連邦の一部だった。『ゾルゲ事件』で日本に潜入したソ連軍のスパイ、リヒャルト・ゾルゲは、アゼルバイジャンの首都バクーで生まれた。 さて、富士メガネの会長を務めるのは金井昭雄氏。早稲田大学を卒業後、アメリカ・カリフォルニア州に留学し、〈オプトメトリスト〉の資格を取得した。日本では耳慣れない言葉だが、目の検査をし、レンズ・フレームを処方することができる。 つまり、メガネ屋さんは顧客の視力に合わせてメガネを売る。しかしオプトメトリストは、顧客がどのような状況でメガネを使うのかといったことにも踏み込んでメガネを処方する。例えば指揮者なら楽譜から目を離して使うし、デスクワークなら書類に目を近づける。ただのメガネ屋さんではない、視力管理のスペシャリストなのだ。 五十年以上の歴史をもつアメリカを筆頭に、中国・韓国といったアジア諸国も、オプトメトリストを国家資格として取り入れ始めているが、日本はまだ法制度が整っていない。一応、視機能訓練士という資格は存在するのだが、その訓練分野は限られたもので、オプトメトリストのように眼球に加え、脳や身体全体の仕組みを総合的に考えるということはないという。なおカリフォルニア州では、このオプトメトリストの検査を経た処方箋がなければメガネが作れないというから驚きだ。 金井氏がアメリカに渡ったのは一九七二年。帰国して富士メガネに入社し、その十年後、オプトメトリストが思わぬところで本領を発揮することになる。 ボートピープル。当時のテレビや新聞は、インドシナ紛争により故郷を追われ、洋上をさまよう彼らの話題で持ちきりだった。そんなある日、難民支援団体から富士メガネに、難民にメガネを贈ってもらえないかという要請が舞い込んだ。 金井氏はメガネを贈るだけでは飽き足らず、みずから難民の検眼へ赴くことにした。これは留学先で学んだ〈米国流の優しさ〉が土台にあるという。確かに、単にメガネを贈って人任せに渡してもらうのではなく、自分で難民を一人一人検査してからメガネを渡すほうがより親切だろう。しかしその親切を実行に移すのは、並大抵の苦労ではなかった。 初めての訪問国タイでは、空港で出迎えるはずだったNGOスタッフが激しいスコールで到着が遅れ、姿を見せなかった。おかげで難民に無料で差し出すはずのメガネ五百個が、税関に売り物とでも誤解されたのか、通関料四十三万円を言い渡される。いきなりこれはないだろう。 結局、五日間もの粘り強い交渉の末、ようやく無税通関が認められたが、それからも苦難の道は続く。 金井氏が宿泊していたのは「ゲストハウス」とは名ばかりの倉庫の二階。四人で訪れたのに、ベッドは二つ。残り二人は床に寝た。翌朝の道中、ふと目を転ずれば、畑で農民が水牛をのんびりと歩かせている。牧歌的な風景かと思いきや、農地には地雷や竹やりの落とし穴が仕掛けられており、必ず水牛を先に進ませるという。農作業一つをとっても、気を抜くことはできない。 当然、難民キャンプの環境も快適なものではない。気温三十五度、湿度八十パーセント、シャワーは何日も溜まった雨水。温度計の針が振り切れることもあったらしい。 こんな劣悪な状況で毎年支援を続けているのは、難民の「見える喜び」のためだという。視力を検査し、メガネをかけた難民の誰もが、目に涙を浮かべ、富士メガネ社員の手をとり、抱き合い、さらにはキスすることまである。そして支援に携わった社員はみな、「もう一度行きたい」と感動を顕わにする。ものが見えづらくなったら、すぐに清潔な病院とメガネ屋さんが待っている日本では、想像もつかない体験だ。 それにしても、なぜこんな地味な活動を選んだのだろう。 企業のボランティア活動なら、チャリティコンサートやチャリティゴルフといった華やかなものがいくらでもあるはずだ。ボランティアの目的は営利を離れたところにあるとはいえ、そういった活動ならテレビや雑誌での紹介を通して一般の目に止まり、しいては客を引きつける宣伝にもなるに違いない。 だが遠い異国の難民キャンプだ。 黒柳徹子氏やアグネス・チャン氏といった著名人に同行するのならともかく、一企業が行くにはあまりぱっとしない。まして倉庫の二階に泊まるとは、わざと人目を忍んでいるとしか思えない。 だが、そんな活動を四半世紀近くも続けた結果、二〇〇六年、金井氏は国連から〈ナンセン難民賞〉を受賞した。一九五四年、難民の支援活動に貢献した人々を称えるために創設された同賞は、これまでにエレノア・ルーズヴェルト元米国大統領夫人などが受賞し、日本人としては初の受賞者だ。そして金井氏はアゼルバイジャンの難民キャンプに井戸を作るなど、その賞金を全額寄付した。 日本国内でメガネの販売競争が激化する中で、その賞金すら、あくまでボランティアに捧げようというのは本当にたまげたことだ。 『仕事の指針 心の座標軸』(PHP研究所、二〇〇五年度版)で金井氏は、「人道支援はただ与えるだけのものではない。それは必ず自分へ還り、心を豊かにするかけがえのない財産となる。『ギブ・バック(還元)』の精神を私は今後も当社の理念として実践し続けていく」と述べている。 この不景気でボランティアを続けるのは、どんな企業でも楽なことではないだろう。メガネ業界のみならず、私たちの業界も厳しいのは同じだ。ただ、そんな状況だからこそ、氏の心がけを忘れずにいきたい。 |
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