消滅、それとも拡大する東欧」(上) 家田 修 北海道大学スラブ研究センター教授
ハンガリー・サミット
2006年9月8日、ハンガリーの国会議事堂で「ハンガリー・サミット」が開催された。そこに集まったのは「東欧」8カ国のハンガリー人政党の代表者、そして欧州議会に所属するハンガリー人議員だった。(写真参照)
(更新日:2007年10月2日(火))
|
 |
|
|
家田 修 北海道大学スラブ研究センター教授
ベニス委員会裁定
2001年10月19日、欧州評議会の付属機関である「法による民主主義のための欧州委員会」(通称、ベニス委員会)はルーマニアの提訴、それに続くハンガリーの対抗的提訴という二つの提訴を受けて、「少数民族の民族的本国による特恵待遇に関する報告書(CDL−INF(2001) 19)」を取りまとめた。
(更新日:2007年10月2日(火))
|
 |
|
|
「東欧」への眼差し−戦略としての地域 林 忠行(北海道大学理事・副学長。北海道大学スラブ研究センター教授)
はじめに
1947〜48年頃から1980年代末まで続いた米ソ冷戦の時代に、「東欧」とか「東ヨーロッパ」という地域名称は、ソ連の西方に位置し、社会主義体制を採っていた欧州諸国という意味で使われていた。具体的には、ポーランド、チェコスロヴァキア、東ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラヴィア、アルバニアの8か国である。 <編集部注:本稿の(下)末尾に本講座開講について家田修・北海道大学スラブ研究センター教授の挨拶文があります。>
(更新日:2007年9月12日(水))
|
 |
|
|
林 忠行 北海道大学スラブ研究センター教授 3.ミラン・ホッジャの「中欧連邦」構想
ここでもうひとりの東欧の政治家を紹介しよう。ミラン・ホッジャ(1878−1944)というスロヴァキア人の政治家で、ハプスブルク帝国時代からスロヴァキア人の指導者として活躍し、ハンガリー王国議会議員の経歴があった。 チェコスロヴァキア独立後は、同国の最有力政党であった農業党の指導者として活躍し、農業相、教育相、首相を歴任した。第二次世界大戦が勃発すると西欧に亡命し、ナチスの勢力下におかれた祖国の回復のために活動したが、1944年に米国で没した。
(更新日:2007年9月12日(水))
|
 |
|
|